この記事の連載

 小田が74歳から75歳にかけて行われた全国ツアーの全行程に同行したツアーコラムを挟みながら、小田和正の、誕生から2023年の現在までの人生を、本人はもとより、その親族、友人、元オフコースメンバーはじめ音楽関係者たち、さらに多くのスタッフの証言から紡いだ物語が『空と風と時と 小田和正の世界』である。音楽の神様に導かれ、ストイックなまでに自分の音楽を追求してきた、決して器用とも順調ともいえなかった小田和正の音楽人生の記録である。


 バンドとなったオフコースは、鈴木(康博)がやりたい音楽から離れていったということだろうか。実際、鈴木は2022年のツアーパンフレット「Yasuhiro Suzuki 50(+2)th Anniversary」のなかで自らの音楽人生を振り返っているが、5人オフコース時代について、こんな発言をしている。そのまま引用する。

「『FAIRWAY』(1978年10月5日発売)の後あたりから、スタッフが『日本武道館へ行こう(目指す)!』と言い出した気がするんです。ところが俺も小田も『武道館を目指すなんて、必要ないんじゃない。多くの方が見に来てくれるなら市民会館を1週間とかやればいいじゃん!』と思っていたんですよ。

 そんな時に小田が『愛を止めないで』のメロディを書いてきて、ディレクターから『康、ちょっとこの感じをやってみない!』とボストンを聴かされたんです。いわゆるエレキ・ディストーション・サウンドのアンサンブル。デカいサウンドのアンサンブルで、これって武道館のサウンドだよねという事で、『愛を止めないで』の音をそういったアプローチで作ってみようという事になったんです。

 そこでセミアコからレスポールのようなソリッドなエレキに持ち替え、初めてディストーションを入れてビヤ〜〜ンという音を出したんです。僕はあんまり好きじゃなかったんですけどね」

 「オフコースはロックバンドじゃないし! という思いがあったんですね」という問いに対しては、こう答えている。

「仁、松尾、ジローの3人はバンドやっていたじゃないですか。だから『ロックやろうよ。チープ・トリックだって武道館やっているし……。やっぱり夢はローリング・ストーンズ! 年をとってもやっていければいいじゃん』って、マネージャーも絶対にできるとその気になっちゃってね。そこから俺も小田も『ロックって何?』という話になり、それまで注目してこなかったローリング・ストーンズとかも聴くようになったんです。

 まあ当時の産業ロックはアドリブも含めてサウンドはできあがっていたし、アドリブを売りにしてというサウンドでもなかったので、『康ならできる』というディレクターのゴリオシはすごかったなと、今は思いますね」

 3人が加わり、音楽そのものが変質していくなかでの戸惑いについては、小田も当時、感じてはいた。2020年、私の問いにこう答えている。

2023.12.31(日)
著者=追分日出子