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特別な背高

 私は外へ出て、少し歩いて振り返った。

 日本海を背景にして、それはすっくと立っていた。時刻はそろそろ夕方に近く、太陽がみかん色になっていて、灯台の影がくっきり東の陸へ落ちている。

 灯台そのものが巨大な日時計のようにも見える。私はさっきまでいたバルコニーを見あげながら、ふと、

「キ」

 つぶやいた。

「キ、か」

 灯台というのは、ふしぎな数えかたをする。一般の建物のように「一軒、二軒」ではないし、かといって細長い物体に対して汎用できる「一本、二本」でもない。

 一基、二基である。これは元来、お墓を数えるための語なのである。お墓から派生して、三重塔や五重塔のごとき縦長の建物にも当てられるようになった。仏教思想の原理からすれば三重塔や五重塔もやはり釈迦の遺骨などを祀る点で一種のお墓だからだろう。そうしてこれが或る時期からはさらに一般化して、仏教と関係なくても、およそ背の高い建物であれば一基、二基と数えるようになった。

 たとえばお城の天守閣などはその典型で、これが近代に入ったところで灯台にも応用されたのである。

 そのさい灯台の塔の色がふつうは白一色であることも、イメージの補強に役立った。いったいに灯台を白く塗るというのは万国共通のならわしで、昼間でも船から見えるようにとの配慮だそうだが、われわれ日本人にとっては偶然にも天守閣の外壁がおなじ色の漆喰で覆われることが多かったため、視覚的、文化的な連続性を意識しやすかった。

 言いかえれば、心になじみやすかった。私たちが灯台の風景や写真を見るときに何となく心の奥底で感じるノスタルジーの源は、案外こんなところにあるのかもしれない。その意味では、灯台というのは近代の天守閣であり、近代の五重塔であるという表現もできるかもしれないが、しかしそのいっぽうで、日本の近代とは、こと洋風建築に関するかぎり、およそ背の高い建物を建てることに対して極端に臆病な時代でもあった。

 これはもちろん、先進国から来た西洋人たちが、むやみやたらと、

「日本は地震が多い。地震が多い」

 と騒いだことが大きいのだけれども、そのせいで日本における大建築はみんな横長というか、平蜘蛛のようというか、垂直よりもむしろ水平方向に展開するプロポーションになりがちだった。

 鹿鳴館もそう。赤坂の迎賓館もそう。明治建築の集大成というべき赤煉瓦の東京駅(完成は大正三年)などは―列車を停車させるという機能面の要請もあるにせよ―典型的な例で、ほとんど着物の帯のような縦横比である。こういういわば横長全盛期における数少ない例外が灯台建設だったわけだ。

 いや、灯台といっても全部が全部背高のっぽとは限らず、背の低いものも多いのだから、つまりこの出雲日御碕灯台は例外中の例外ということになる。

 東京駅を横の代表とするならば、

 (縦の代表、か)

 まさしく一基、二基と数えるに最もふさわしい近代の産物。私は案内してくれた海上保安庁境海上保安部の平山浩さん、矢野恭祐さん、燈光会の斉藤晴美さんにお礼を言って、駐車場へ行き、車に乗りこんで、この極上の観光地をあとにした。

 時間の都合で出雲大社にはお詣りせず、そのまま宿泊先に向かった。窓の外の風景が暗くなり、薄墨を流したようになったのは、太陽がまた少し沈んだのだろう。

 一日の終わり、旅の終わり。背後の灯台はそろそろ灯室にあかりをともし、海を照らすのにちがいない。百二十年と何日目かの仕事始め。きのうも、きょうも、きっとあしたも。後部座席の背もたれに少し深く身をあずけると、急に眠気が来て、私はゆっくり目を閉じた。

出雲日御碕灯台

所在地 出雲市大社町日御碕1478
アクセス 山陰道 出雲ICより約27分、出雲大社から約16分、「日御碕灯台」バス停下車、徒歩約5分
灯台の高さ 43.65m
灯りの高さ※ 63.3m
初点灯 明治36年
※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。

海と灯台プロジェクト

「灯台」を中心に地域の海と記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。
https://toudai.uminohi.jp/

海を間近に感じるマリンピング体験を!

北海道江差町に位置する「かもめ島」で、海と日本PROJECTが共催する「かもめ島マリンピング」。今年で3年目を迎えるこのイベントは『海×グランピング=マリンピング』の宿泊や町の風土を生かした海洋体験、地元高校と連携した地域学習などを実施。これらの取組により今年5月に日本港湾協会「令和5年度企画賞」を受賞しました。今年度(10月22日まで)は鷗島灯台敷地内に、絶景を楽しめるテントが設置されています。

オール讀物2022年8月号

定価 1,000円(税込)
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