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灯台の父の孫

 二十一世紀の現代では、くりかえすが内部が公開されている。

 私はそこに登ることができる、いや、登らなければならない。嶋田さんの笑顔に背中を押されるようにして、私はいよいよ内部へ入った。

 永遠につづくと思われる螺旋階段をゆっくり踏みしめて、バルコニーに出ると、日本海の絶景がそこにあった。

 地上四十メートルというところか。

 (きれいだ)

 と思ったのは一瞬だけで、足もとに違和感がある。下を見たら床が水平ではなかった。わずかな傾斜がつけてあって、外側のほうが低いのである。

 むろん排水のためだろう。地上ならば何ということもないこの勾配が、この高さでは断崖絶壁にも感じられる。ちょっと強い風が吹いたときにはもう、何というか、歯の神経をむき出しにされたように繊細な気分になったのである。

 もっとも、私のこんな臆病の虫は、一、二分ほどで落ちついた。風が吹いても灯台自体はびくともしないし、柵はじゅうぶんな高さがある。

 元来が安全な施設なのである。そうでなければ完成以来百二十年ものあいだ海に向かって立ちつづけられるはずもないわけで、ほかのお客さんたちも屈託なく腕をのばして磯の波を指さしたり、スマホで写真を撮ったりしている。そこかしこから嘆声や笑い声が聞こえる。

 まことにのんびりとした雰囲気だった。彼らもまずは出雲大社へお詣りして、それからここに来たのだろうか。だとしたら現代ではもちろん乗合自動車は使わずに、めいめい自家用車を運転して、あの広い駐車場に停めて……。

 もっとも、書斎に帰って調べてみると、この安全は一朝一夕に得られたものではなかった。

 さしあたりは三十年ほど前、平成四年に補修工事がおこなわれている。切石積みの外壁の目地(石と石のあいだを埋める充填剤)を最新のものに取り替えて耐久性を向上させた。

 それ以前には……そもそも最初の設計の段階できわめて念入りな配慮をあたえられている。この灯台は、外見こそ明快な白い石積みだけれども、じつはその内側にもう一本、赤い煉瓦造りの塔がすっぽり収まっているのだ。

 筒のなかへ筒を入れたような、入れ子式のこけしのような……つまりは二重壁というわけで、これによって灯塔全体の強度を確保すること、わけても地震が来たとき倒壊しないことを期したのだろう。

 いわゆる耐震構造というわけで、これは世界的にもめずらしく、私はふたたび螺旋階段を下りたとき、その二重壁のありさまを垣間見ることができた。ガラスボードに覆われた煉瓦のすきまから外部をのぞいたのである。

 外部といっても、この場合は石積みの外壁とのあいだの間の部分で、わりあい広い。仔猫くらいは通れるのではないか。万事が手さぐりの明治期にこれを実現するためにはよほど設計、施工に気を配らなければならなかったはずで、私は、ここではじめて石橋絢彦という人の風貌に接した気がした。石橋絢彦は工学技師、この灯台の設計者である。ほかに水ノ子島灯台(大分県)などを手がけている。

2023.08.11(金)
文=門井慶喜
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年8月号