物語を生み出す人が、「嘘」「虚構」をどのように捉えているかはわからない。嘘から出た実というように、出発点は嘘であっても、その過程と結果によって真実に成り得るという見方もある。けれど、是枝さんの生み出す物語や描く人物は、その出発点に真実がある気がする。たった今共に生きている誰かの小さな小さな息づかいから、物語が立ち上がっている気がしてならない。
映画の救済について考える。
映画は誰かを加害すると同時に、いつも誰かを救済している。一秒、一晩、一日と、確実に誰かを生き延ばしている。最も深度の高い救済は、人の人生を変えてしまうことだろう。
その証明が、他でもないこの私自身である。私は映画におよそ二時間ずつ人生を引き伸ばしてもらって、ここまで命を食い繋いできた。そして、どう生きるべきか、どう死ぬべきかの信念を発見し、人生を祝福できるようになるまで回復した。
映画には、世界を変える力がある。映画によって新たな概念を構築した観客は、その概念なしに人と関わることはできない。いつしか関わった相手にも概念が届き、水面下で、蜘蛛の巣状に伝染していき、やがて世界は少し前と違った様相になっている――。そのようなことが、これまでずっと続いてきた。声を上げる勇気、作品を生み出す覚悟を持つ者が、実質的に世界を変える力を持っている。この力は偉大なものだ。だからこそ慎重に、誠実に取り扱わなくてはならない。
是枝さんはいつも、自身の持つ力――そこには権力を含む――が孕む加害性について、考え続け、見つめ直し、疑い続けているのではないかと思う。誰よりも繊細に、作品とそれに携わる人々を、大切に丁寧に掬い上げようとしている気がする。時にはその両手から、こぼれ落ちてしまう人もいるんだろう。どうしようもできないことや人を、おそらくたくさん、たくさん見てこられたんだろう。それでも、現場にいるときの監督は少年のように、誰よりもワクワクしているのが伝わってくる。その純粋さを守るために、外界の邪悪さを上回る邪悪さを身につけながら、人や物事の深部を見極めようとしているような、そんな気がする。
2023.06.19(月)
文=橋本 愛(女優)