ようやく刊行の暁となった『噴怨鬼』。去年の10月にしんぶん赤旗日曜版の連載を終え、それこそ首を長くして待ち望んでいたものである。これは私がこれまで小説の中で何十人と書いてきた主人公の中でもことに気に入っていた陰陽師弓削是雄の物語で、しかもその最終話に当たる作品である。まぁ、いい加減な私なので、ここで最終話と口にしても、また気が向けば別な物語に着手しないとも限らないが、少なくともこの前話に当たる『妄執鬼』を書いた時点ではすでに『噴怨鬼』の構想が頭の中にあり、それで大団円とする心積もりだったのは確かだ。すぐに取りかかれれば問題もなかったのに、その当時の私は「だましゑ」「完四郎」「風の陣」「ドールズ」と4つのシリーズ連載を抱えている身であって、最低でも月に300枚の原稿をこなさなくてはならない状況に追われていた。もし余裕ができたときに書き下ろしの形で、と考えたのがいけなかったのだろう。ずるずる先延ばしにしているうちに、あの東日本大震災に見舞われた。
私の住まいは岩手県の盛岡市にあり、津波による大災害に巻き込まれた沿岸部に較べれば申し訳ないほどの被害に過ぎなかったが、およそ半年ほどはそれまでの日常と異なる日々の連続となった。一番精神的にこたえたのは、私が誇りを持って続けてきた小説の無力さを如実に知らされたことだった。心の糧として書物ほど大きな力を持つものはない、と信じていたのに、日々流される報道の中心は食品の流通の悪さや電力の回復、交通網の整備状況に絞られ、本に限らず映画や演劇などなど芸術活動の現状などすっかりないがしろにされていた。それは無理からぬこと、と今の私なら頷けるものの、当時の私には大衝撃だった。私の仕事など一升の米にすら劣る、と心底思った。
暇で平和な世の中だったから恰好の時間潰しとして小説が読まれていただけで、有事となれば暖を取る薪にさえ劣る。その程度のものに私は縛られ、徹夜を強いられ、それでも誇りを抱きつつ生きてきた、と思い知らされ、本当に私は泣いた。
2023.06.07(水)