現代によみがえる足利尊氏
『極楽征夷大将軍』と聞いて、多くの読者は誰を思い浮かべるだろうか。
垣根さんが新著で描いたのは、室町幕府の開祖・足利尊氏。
「日本史に名を刻む武将の中で、おそらく一番だらしのない人間だと思う」
と、尊氏について語る時、垣根さんはどこか楽しげだ。
「調べれば調べるほどろくでもない男で、どうしてこんな人間に幕府が起こせたのか、不思議に思っていました。僕自身にもかなりその傾向がありますから(笑)、尊氏のキャラに惹かれる部分もありましたね。
たいした人物でもない尊氏が人に慕われ、戦でも連戦連勝できたのはなぜか。自分なりの尊氏を書いていくことで、その謎に迫ってみたかったんです」
多くの楽しいエピソードが綴られていくが、まず冒頭、足利宗家を継ぐのを徹底的に嫌がるひと幕が印象的だ。
尊氏曰く「立身より心が軽いほうがいい/他になりたい者がなればよい」。
「幕府を開くとか将軍になるという以前の問題ですよね。そもそも人としての向上心がゼロ。野望もゼロ。ひたすら平穏に楽ちんに生きられればいい。周囲に説得されて家督を継いだ後で、たとえば鎌倉幕府から後醍醐天皇の反乱を鎮圧する軍を率いるように言われても、『具合が悪いのだ』『もはや危篤である』などと駄々をこねてなかなか出兵しない。こんな武門のトップは他にいませんよ(苦笑)」
ただ一つ、やる気のない尊氏の背中を押すのは、弟・直義(ただよし)の存在だった。
「尊氏は幼い頃から一緒に育ったこの弟のことが大好きで、直義が戦で危機に陥った時だけ、即断即決、毅然として進軍を開始する。弟を救いたい一念で尊氏が戦うと、結果として、それが歴史を動かす局面になるんです」
信長、秀吉、家康のような、勇猛果敢、知略に富むリーダーの姿が描かれるわけでは全くない。しかし本書から見えてくる尊氏像には、令和に生きる我々の心にどこか響くものがある。それは「負けない生き方」ではないかと垣根さんは言う。
2023.06.08(木)
文=「オール讀物」編集部