台湾を拠点に香港・インドネシア・日本などでさまざまな活動をする日本人アーティストDEAN FUJIOKA、33歳。2007年に千葉県で起きたイギリス人英会話講師殺害事件の犯人・市橋達也がつづった手記を映画化した『I am ICHIHASHI ~逮捕されるまで~』で、主演のほか監督にも初挑戦した彼に、世界を舞台に挑み続ける理由を聞いた。
シアトル留学を経て、香港でモデル活動
――現在、世界でマルチに活動されているFUJIOKAさんですが、幼い頃の夢はなんだったんでしょうか?
母親がピアノの先生をやっていたこともあって、たとえば坂本龍一さんのように自分で楽曲を作って、パフォーマンスするようなミュージシャンに憧れていました。また、海外に行くことが多かった父親がアメリカで買ってきてくれるお土産、たとえばレーザーディスクやちょっとしたお菓子のパッケージなどに、子供の頃から興味を持っていたこともあり、いつかアメリカに留学したいと思っていたんです。
――その思いから高校卒業後にアメリカ留学を決めるわけですね?
そうですね。アルバイトをしてお金を貯め、シアトルに5年間留学しました。学校ではIT関連の勉強をしながら、専門課程でジャズ音楽を専攻してジャズバンドを組んでいました。夜は夜でライヴハウスやクラブにいろいろな音楽を聴きに行っていましたね。その後、香港に渡るのですが、じつはその頃の僕はアジアのエンタテイメントにこれといった興味はありませんでした。ただ、自分がエンタテイメントでお金を稼ぐ方法が生まれたのが、香港だったというわけです。
――俳優として活動される前に、モデルとして活動されますよね? それはどういうきっかけで始められたのでしょうか?
たまたま、香港のワンチャイ地区のクラブでフリースタイルのラップに近いマイク・パフォーマンスをしていたんです。シアトルはラップトップ・パソコンを使った音楽が栄えていたので、そこで学んだ技術を取り入れてDJと組んでいました。客席にたまたまファッション雑誌の編集者の方がいて、「モデルをやってみないか?」と声をかけられ、初めてカメラの前に立つことになったんです。
2013.11.08(金)
text:Hibiki Kurei
photographs:Atsushi Hashimoto
beauty direction:Isao Tsuge
styling:Makoto Washizu