嵐山の自然と調和する『作庭記』の美意識

 京都・嵐山は、かつての平安貴族の別荘地。この土地の魅力は、大堰川と小倉山を借景とする眺めの良さだ。

 そんな嵐山に建つ「星のや京都」の庭を手がけた加藤友規氏は、老舗「植彌加藤造園」の8代目。明治創業の旅館「嵐峡舘」だった当時の庭の良さを生かしながら、「水の庭」「路地庭」「奥の庭」という3つの庭を再構築し、現在も先々を見据えて庭を育んでいる。

 加藤氏の庭作りの背景にあるのは、平安時代に記された庭師のバイブル『作庭記』の思想だ。この書は庭作りの技法書であると同時に、自然と向き合う態度を示す「感性の書」でもある。その冒頭には、「人のたてたる石は、生得の山水には勝るべからず」と記されている。これは「人の作った庭は、大自然の素晴らしい景色には到底敵わない」ということ。『作庭記』では、こうした根本哲学だけでなく、庭の美意識や技法についても述べられている。

 たとえば「滝は水の出口があらわだと品がない」ため、滝の上方を木の枝で隠す「飛泉障り」という技法がある。加藤氏が「水の庭」を手がけた際に行ったのは、「嵐峡舘」時代からあった紅葉の枝を滝にかぶせるように剪定して「飛泉障り」を施すこと。それによって、紅葉の枝ごしに滝を眺める、奥ゆかしい景色が誕生した。

 一方、「路地庭」では、昔は短く切られていた紅葉の枝を伸ばし、紅葉のトンネルを作った。加藤氏が「木漏れ日が瞬き、お日様がサラサラッと入る」ように設えたトンネルは、数年後には枝が伸びてさらに大きくなるだろう。

 「奥の庭」は、「嵐峡舘」時代から建つオオモミジの大木を主役に据えた枯山水の庭だ。16年前の開業時は燻し瓦と白砂だけの枯山水だったが、大堰川の夜露の恵みで自然に苔が育ち、3年ほど前からは庭の半分弱が苔の緑に覆われている。

 以来、自然の苔を受け入れながらも白砂が覆いつくされないよう、1日おきに手入れを続けることで景色が保たれている。

 そんな「奥の庭」のオオモミジの流し枝の下に置かれた景石は、対岸の小倉山を望む特等席。1時間に2度、竹林の中を走り抜けるトロッコ列車の姿(冬季は休み)は、「星のや京都」ならではの景色の一つだ。

 「日本庭園は自分の敷地だけで完結しません。大事な要素である借景は平安時代からの伝統なのです」と、加藤氏は話す。

 便利さが優先される時代にあって、数十年先を見据えて美を育む新たな日本庭園の施行は稀である。しかし加藤氏は揺るがない。「人にとって“他者”である自然の造形を受け入れ、理解し、空間表現に生かす行為こそが、安らぎと豊かさを生むのです」と。

 嵐山の庭の哲学とは、自然と対話し、自然を敬うこと。千年前の感性が今日の心へと静かに響くのは、庭師がその思想を受け継ぎ、自らの手で自然の美を育んでいるからである。

庭作りのバイブルとなる平安の書

平安時代に書かれた日本最古の作庭書。中世の人々の作庭技術と、思想・美意識が示されている。左の文は『作庭記』の中の一文(現代語訳)で、「縮景」について書かれたもの。「全国各地の景色の素晴らしい場所を思い出し、感動する部分を心で解釈し、それを素直に写して庭を作るんですよ」と説いている。『作庭記』という名称は江戸時代に『群書類従』という書物に収められて流布したもので、それより前は『前栽秘抄』と呼ばれていた。自然景観の模倣や家主の意趣、景勝地の要素を取り入れる『作庭記』の理念は、今日に通じる普遍性を持つ。

星のや京都

所在地 京都府京都市西京区嵐山元録山町11-2
電話番号 050-3134-8091
https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/hoshinoyakyoto/

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