海上交通センターの役割
わずか八歳で海に沈んだ安徳天皇を祀る赤間神宮(どことなく「竜宮城」という言葉を連想するお宮であった。「海の底にも都がある」と安徳天皇を慰めた、という故事に由来するのだろうか)、日清講和記念館(日清戦争の講和条約を結んだ料亭「春帆楼」は、伊藤博文が「フグ食用禁止令」を解除した店としても知られる。恐らく、「なにこれおいしい、えっ、ふぐなの? おい、食べちゃったよ、でも皆、この辺りじゃ普通に食べてんだよね? だったら、もういいじゃん」みたいな感じで、後付けでなしくずしに解除されたのであろう。私の妄想だが)などを駆け足で見て、門司港エリアまで戻り、昼ごはんに山口名物だという「瓦そば」を食べる。
鍬や鋤で食べ物を焼いた、という故事はよく聞いたが、瓦に載せて焼くのは初めて見た。本物の黒い瓦に茶そばや肉や卵が載っていて、時間が経つにつれてどんどん茶そばが焼けていく。茶そばの味がどことなく不思議で、何かの料理に似ている、とずっと考えていたのだが、納得のいく答えは出なかった。
ここで、前日から一緒だった編集者Hさんが門司港駅より離脱。
我々は、関門海峡海上交通センターへと向かった。
実は、海上交通センター(愛称はマーチス)というのは、灯台の仲間。海上保安庁の定める航路標識(海の道しるべ)のひとつの形、ということになる。
関門海峡のもっとも屈曲した場所に立つ関門海峡海上交通センター。真っ青な空に突き刺さるように伸びるタワーの下に、要塞のような階層の建物がどんと聳えている。
広く取られた窓からは、関門海峡の日本海側と瀬戸内海側が見晴らせるようになっていて、まさしく交通の要衝だ。
めまぐるしく潮の流れと速さが変わり、地形も複雑な関門海峡が難所だと呼ばれることがこの風景からもよく分かる。
目視できる窓の前には、複数のモニターがコックピットのようになっていて、職員がチェックしつつ、無線で情報を提供している。
船の場合、最終的にどのような動きをするかは船長が判断するのだそうだ。
実際、レーダーには入ってこない小さな漁船も多いため、最後は現場で目視して判断するしかないからだという。
海の管制官は女性も多く、たまたま撮った写真の管制官は全員女性、という状態だった。
二十四時間体制の仕事だが、きっちり交替できて勤務時間がはっきりしているので、メリハリのあるいい職場かもしれない。
「どうなんでしょう、やはり船長にもうまい下手があるんですか?」
素朴な疑問を投げかけてみると、言葉を濁してはいたが、「なかなか接岸できない船とかありますね」と遠回しに言うところを見るに、ひと口に船長といっても扱う船の大きさもあるし、技術はピンキリ、ということらしい。
ここでもしつこく、「何か怖い話ないですか?」と尋ねてみた。
壇ノ浦とか、巌流島とか、古戦場も近いし、何かあるのでは? さすがに安徳天皇の幽霊は出ないにしても(この場合、怨霊か)。
皆さんの反応は薄かったが(もしかすると、偉い人がいっぱいいたので、言い出せなかったのかもしれない)、「やっぱり平家ガニを見つけると、ぎょっとしますね」と話した人がいた。
私も平家ガニの写真を初めて見た時はゾッとしたものである。あれは、どう見ても人面カニ。平家の亡霊の憤怒の顔が刻まれている、と言われたら一も二もなく信じてしまいそうだ。
実際は、あのカニ、とても小さくて華奢。あまり寿命が長くないので、水族館で飼育するのには不向きで、食用にも適さないらしい。
屋上で皆さんと記念撮影をして、海上交通センターを後にした。
海と空の青さと、真っ白な灯台とマーチス。それが脳裏に鮮明に刻み込まれた二日間であった。
