小倉の夜に舞い上がる
さて、我々は一路、小倉に向かった。
「小倉」といえば、ずっと「おぐら」と読んでいて、九州の人にぽかんとされたことを思い出す。地名の読み方、というのは地域によって独特で、そういえば、京都の「東寺」をずっと「あずまでら」と読んでいて、これまた関西の人に「何のことを言ってるのか分からなかった」と言われたものだ。
駅直結のホテルにチェックイン。
ここで、いつも装丁でお世話になっている、文藝春秋のブックデザイナーOさんと合流。「北九州の台所」と呼ばれる旦過市場へと向かう。
以前、小倉に来た時にもざっと歩いたことは記憶にあるが、店に入ったことはなく、迷路のような不思議なアーケード街で、心惹かれたことを覚えていた。
また、東京の千駄ヶ谷の某出版社の近くにズバリ「旦過」という、旦過出身だという若者が、九州から取り寄せた食材で経営している居酒屋があり、よく利用していただけに、近年、連続して火災に見舞われた、というニュースを見て、心を痛めていた。ああいう、昭和の雰囲気を残している商店街というのは、いったん失われてしまえば二度と同じにはならないからだ。
以前から残っているアーケードの通りのそばに、「旦過青空市場」という、プレハブの建物が並んでいる。
その中に真っ赤な暖簾のかかった、赤壁酒店があった。
角打ちで有名な店だと聞いていたが、入ってみると、恐らく以前の店の面影を極力残そうとしているのが窺えて、意外にもしっとりと落ち着いた雰囲気。
サッポロ赤星のビールの大瓶を冷蔵庫から取り出し、鯖の糠炊き、野菜の浅漬けをつまみに乾杯。野菜の浅漬けも、鯖の糠炊きも素晴らしく美味で、たちまち数本のビールが空いた。
これを皮切りに、ほど近い別の商店街の老舗居酒屋を目指す。
こちらも、二階の広い座敷で、仁王立ちになっている黒ずくめのおねえさんたちに張り切って酒とつまみを注文し、たちまち舞い上がった小倉の夜であった。
