「お腹に穴を開けても仕事には開けられない」(増田)

増田 何も、誰かに強いられたわけじゃなくて、たとえお腹に穴を開けられても、仕事には穴を開けられないと思ってましたから。

近田 上手いこと言うね(笑)。

増田 当時の芸能界では、それが当たり前の考え方でした。だって、多い時は、一日に15本も仕事が入ってましたから。やってもやってもやってもやっても一日が終わらない。今日は何をやるのかなんてまったく把握してなくて、ただマネージャーについていくだけという状況でした。途中からは、レッスンする時間も満足に取れない。

近田 ピンク・レディーは、浮き沈みの激しい芸能の世界で、さまざまな局面に遭遇したわけだけど、その中でも稀有な体験が、1979年のアメリカ進出だよね。

増田 あそこで、相馬さんの夢を叶えたわけですが、本当なら、エンターテイナーとしての実力や英語のスキルをしっかりと蓄えてからアメリカで勝負したかった。

近田 そうすれば、運命も変わっていたかもしれないね。

増田 デビューしてからずっと、レッスンの時間も曲を覚える時間もなく眠る時間を割いて走り続けてきて、ましてやアメリカでも英語の発音もままならないのに週5曲の新曲と前編英語のトークの収録は本当に大変で、心臓がいくつあっても足りなかったです。でも、それをやり遂げたのは大きな自信になりましたけど。

近田 ピンク・レディーって、結局、デビューから何年間活動を続けたんだっけ?

増田 4年7カ月です。

近田 今振り返ってみれば、意外と短かった気がするよ。そして、ソロとしての第二の歌手人生が始まるわけだよね。

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増田惠子(ますだ・けいこ)

1957年静岡市生まれ。中学校の同級生であったミー(根本美鶴代)とクッキーという名のデュオを結成し、「スター誕生!」に出場、決戦大会で合格を果たす。1976年、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。「S・O・S」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」など大ヒットを連発し、「UFO」では1978年の日本レコード大賞を受賞する。解散後の1981年、中島みゆき作詞・作曲の「すずめ」でソロデビュー。40万枚のヒットを果たす。再始動したピンク・レディーとしても、活動を続けている。2月6日(金)には、有楽町マリオン別館7F「I’M A SHOW」にて「増田惠子・ソロデビュー45th anniversary concert I Love Singing スペシャル! ~ソロシングル、カバー、そしてピンク・レディー」を開催予定。

近田春夫(ちかだ・はるお)

1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。

次の記事に続く 「口に出したら自分が壊れてしまう」ピンク・レディー増田...

Column

近田春夫の「おんな友達との会話」

ミュージシャンのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて交遊を繰り広げてきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズがスタート。なお、この連載は、白洲正子が気心を通じる男性たちと丁々発止の対談を繰り広げた名著『おとこ友達との会話』(新潮文庫)にオマージュを捧げ、そのタイトルを借りている。