「日々、早くこのブームが去ってほしいと願っていました」(増田)

近田 あそこで、2人はまさに絶頂を迎えたよね。

増田 デビューからしばらくは、ただ歌って踊れるだけで幸せだったんです。でも、「S・O・S」あたりから、ふと、ターゲットが低年齢化しちゃったなと感じ始めたんですよ。途中で、ピンク・レディーのコンセプトが、子ども向けに変わってきた。そのために、歌も難しくなり、振りも激しいものになっていったんです。

近田 そこは、本人たちの望むところではなかったの?

増田 はい。いつまで経っても歌唱力を認めてもらえないことに関しても、シンガーとしてはフラストレーションを感じていましたね。絶対、口にはできなかったけど。

近田 ピンク・レディーってさ、エンタテインメントの総体として消費されていたんだよね。もちろん、その充実ぶりは、歌や踊りといった個々の要素に魅力があってこそのことなんだけど、圧倒的なパフォーマンスを目の前にすると、細部までは注意がいかない。表現者として、そこに不満を感じる気持ちはすごくよく分かるよ。

増田 もっともっと、大人の歌を歌いたかったし、真の実力を見極めてほしかったんです。自分たちが乗っかっているのは、あくまでもある種のブームであると自覚していたから、2人とも、日々、早くこのブームが去ってほしいと願っていました。

近田 そうなんだ。しかしまあ、想像を絶するほど忙しかったんだろうね。体は壊さなかったの?

増田 壊しましたよ。1977年の12月に、私、盲腸をこじらせて、腹膜炎で倒れたんですよ。手術後、普通なら2週間以上は入院してなきゃいけないんですが、9日間で切り上げて退院したんですよ。

近田 何でまた?

増田 年の瀬に、武道館公演を控えていたんです。当日は、10cmぐらいパックリ開いたままの傷口に、先生がガーゼを詰めて、ラップを巻いた上に衣装を着て歌いました。

近田 えーっ! それ、今の時代じゃ許されないよね。

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