「ペッパー警部」はオリコン初登場は99位

近田 そんな「ペッパー警部」だけど、リリース当初の売れ行きは、さほど芳しくなかったんでしょ。

増田 発売から2カ月ほどは、全然振るいませんでしたね。オリコン初登場が99位で、翌週は103位でしたから。

近田 そんなに地味なもんだったんだ。後の大ヒットが噓みたいだね。

増田 さらに、「スター誕生!」のデビューコーナーであの曲を披露した時は、審査員だった松田トシ先生から「若い女の子が股を広げるこんな下品な振りは、絶対に変えなさい」と叱られたそうです。それに対し、振り付け師の土居甫先生は、「これをやめるぐらいなら、自分はこの仕事を降ります」と守ってくださいました。

近田 潮目が変わったきっかけは?

増田 あの頃、毎年10月に新宿音楽祭というイベントがあったじゃないですか。

近田 はいはい。文化放送が主催する新人賞主体の催しだったよね。

増田 そのステージに私たちが登場した瞬間、満員のお客さんがギャーッと盛り上がったんですよ。あの時点から、すべてが変わりました。それがきっかけで、「ペッパー警部」のセールスが動き出したんです。

近田 その後は、出す曲出す曲すべてが大ヒットを記録し、怒涛のような日々が続くことになるわけだよね。そして、1978年には、「UFO」で日本レコード大賞を受賞します。

増田 レコード大賞を獲った時は、これでやっと、作詞の阿久悠先生、作曲の都倉俊一先生、振り付けの土居甫先生、ビクターの飯田久彦さん、プロデューサーの相馬一比古さんをはじめ、お世話になってきたみなさんにご恩を返せたと思いました。ひとまず、重たい荷物を下ろした感がありましたね。

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