ミュージシャンとしてのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて親交を重ね、交遊してきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズ、「おんな友達との会話」。
2人目のゲストは、ピンク・レディーのケイとして、70年代後半に「UFO」「サウスポー」などのメガヒットを連発し、戦後芸能史に一時代を画した増田惠子さん。2026年は、ピンク・レディーのデビューから50周年、ソロデビューから45周年というダブルアニバーサリーの年に当たるんだとか。実は、近田さんとは、意外な深い縁があったようで……。
「スター誕生!」には綿密な作戦を練って…
近田 日本テレビの伝説的なオーディション番組「スター誕生!」で合格を決めたのは、何歳の時だったの?
増田 高校3年の2月だったんですよ。
近田 まさに卒業間際だったんだね。
増田 ええ、ギリギリでした。その前に、フジテレビの「君こそスターだ!」では落選していたし、あとは「スター誕生!」しかないと思って応募したんです。
近田 まさに背水の陣だ。
増田 当時、ミーのお母さんがカラオケを習っていたんですが、その先生の家の近くに、「スター誕生!」のプロデューサーの奥さんのいとこが住んでいたんですね。
近田 何だか、ずいぶん遠い縁をたどったんだねえ(笑)。
増田 とにかく、その人のところまで、番組に出たいとお願いに行ったら、「特別扱いはしないけど、東京で行われる予選に出られるよう手配することはできるよ」と言われたんで、予選会に参加することになったんです。
近田 あの予選って、どういうシステムだったの?
増田 会場は、当時あったそごう有楽町店の7階にあるよみうりホールでした。
近田 今はビックカメラが入ってる建物だよね。
増田 毎週日曜、あそこに、葉書で応募した大勢の出場希望者が詰めかけるんです。私たちが参加した時は、800人ぐらい来てましたね。
近田 そりゃすごいな。
増田 そこで3回ほどの審査を経て多くの参加者がふるい落とされ、テレビで放送される予選に出場できる14組が決まるんです。
近田 やっとテレビに出られるわけね。
増田 テレビ予選では、会場のお客さんの投票による点数と審査員の先生が与える点数の合計が規定のレベルに達すれば決戦大会進出が決まるんですが、私たちは、観客票だけの段階で、すでに合格が決まってしまった。私たち、やっぱりすごいじゃんと自惚れましたよ。
近田 おお。何か、「スタ誕」ならではの対策は立てたわけ?
増田 ええ。もう、「スタ誕」に落ちたら後がない状況でしたから、何度もミーティングを行い、それはそれは綿密に作戦を練りました。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword









