叡山に、そのような厳しい冬が訪れている。

 玉照院は、北嶺千日回峰行(ほくれいせんにちかいほうぎよう)堂入りが行われる明王堂と同じ東塔無動寺谷の、その転げ落ちそうな谷の中腹にある。玉照院は、同行の根本道場であった。

 その玉照院へ、聖諦(せいたい)が脚を急がせている。

 薄暮の境内では直綴(じきとつ)姿の小僧が二人、永遠に降り積もるのではないかとさえ思える落葉を、舞ったそばから掃き清めていた。

 来客の姿を認めると、小僧らは竹箒(たけぼうき)を動かす手を慌てて止め、深く黙礼した。北嶺千日回峰行大行満大阿闍梨(だいぎようまんだいあじやり)との対面となると、小僧らの背筋はぴんと伸びた。

 大行満大阿闍梨を前にして緊張を抱かぬ者は、叡山の僧にはない。修行地獄と呼ばれる叡山の、格別に厳しいとされる修行が同行なのであった。

 叡山には、三大地獄と呼ばれるものがある。

 看経(かんきん)地獄。横川の元三大師堂(がんざんだいしどう)にて三年間、ひたすら読経、勤行、論義、護摩供(ごまく)などを繰り返す。

 掃除地獄。西塔の浄土院(じようどいん)にて厳しい勤行を続けながら、その庭をひたすらに掃き、清め続ける。これは、侍眞(じしん)と称される僧が十二年間続けるものとされる。ゆえに、十二年籠山行(ろうざんぎよう)とも呼ばれる。

 そして回峰地獄。言わずもがな、これが北嶺千日回峰行を指す。

 行者は叡山の諸堂を、深更から早暁にかけ、ひたすら毎日巡る。

 道程は叡山の険しい山道、距離にして七里半(約三十キロメートル)。毎夜九ツ半(午前零時から一時頃)に出峰し、明け六ツ(午前六時頃)から五ツ(午前八時頃)の間に帰坊する。

 まず三年目までは、一年につき百日を連続で歩き通す。と言っても、最初の年は千日回峰行とは切り離された百日回峰行と呼ばれるもので、これを満行した者から二年目に入る者――すなわち千日回峰行に挑む者が選抜される。従って、一年目と二年目は連続しないことが多い。

2025.09.22(月)