「それこそ学校に乗り込む勢いでした」我が子へのイジメを知った母親の対応

――ご両親の怒りは相当だったのでは。

細山 自殺未遂の一件ではじめていじめについて知った母親は、それこそ学校に乗り込む勢いでした。

 僕以上に怒ってくれたことで救われましたけど、その反面、自分が冷静になれたところもありましたね。なんというか、自分が苦しいとき、自分以上に怒ってくれる人がいると、スーッと落ち着くんですよ。

――今振り返ると、自分に背負わせ過ぎたと思いますか。

細山 そんな気はします。最近は昔よりも、「そのままの自分でも大丈夫」って思えるようにはなりましたけど、一方で、後遺症みたいなところはどうしてもあって。

 いまだに、本当につい最近まで、仕事で成果を出すでも、友だちと面白い話をするでもいいんですけれど、「自分が何かしらの価値を提供できないと相手に嫌われるんじゃないか」という思いが消えなくて、長い間悩まされました。

――芸能界では売れっ子として活躍されていた時期かと思いますが、その点は自信に結びついていた?

細山 もし仮にテレビでウケたとしても、それが本当の僕自身に対する評価なんだろうか? という疑問があって、あんまり仕事の成果と自己肯定感とがリンクしなかったんですよね。

 今思えば、“本当の自分”と“テレビの自分”みたいなものが漠然と自分の中にテーマとしてあったんだと思います。

 いじめによって、「周りの人たちは自分のことが好きではない」という前提が出来上がってしまった中で、テレビの仕事は、視聴率で自分の貢献度がわかりやすく数値化される環境があり、すると余計、「何かの価値を提供してこそ、周りは自分のことを好きでいてくれるんだ」という考えが補強されてしまったのかもしれません。

「中高一貫校に入ったんですけど…」中学校でもイジメ被害に遭った

――いじめがあった時、学校や仕事を休んだことも?

細山 学校はちゃんと行かなきゃいけないという思いもありましたし、芸能界でも、お金もらっているからちゃんと仕事する、という意識だったので、どちらも休むことはなく。変にまじめすぎたのかもしれないですね。

――中学に入って変化はありましたか。

細山 中高一貫校に入ったんですけど、そこでもいじめに遭ってしまって。ただ、そのいじめっ子が高校に進学しなかったことで、一気に平穏になりました。

――集団生活のスタートの際に、「ちょっとコイツは危なそうだ」みたいなものはわかるものですか。

細山 その子は最初から暴力的な言動が多かったので、これはちょっとまずいな、というのはありました。それこそ、怒った時にそこらへんの物をバーンと叩いたりするような子だったんで、見るからに危なそうだったし、その不安が見事に的中してしまった感じです。

 ただ、ちょうど転機になったのが、中3の時に泉ピン子さんと髭男爵の山田ルイ53世さんと特別番組で共演することがあって。

――意外な取り合わせですね。

細山 それが、3人でダイエットするっていう企画だったんです。そこではじめてダイエットをして10kg痩せて、変化があったんです。

撮影=細田忠/文藝春秋

体重108キロ→68キロに激減、容姿が変わりすぎて“転校生”に間違えられ…「デブ子役だった」“細山くん”こと細山貴嶺(30)が語る、ダイエット後に激変した人生〉へ続く

2025.09.02(火)
文=小泉なつみ