御茶ノ水駅から駿河台下へ向かうと…
次は御茶ノ水駅から駿河台下あたりの南側界隈の地図をみてみよう。

丸善を抜けて南に行くと、すぐに街中華「山田屋」があったのだが、この地図には載っていない。その先に、名物立ち食いそば屋「辰巳庵」が1979(昭和54)年にすでにあったのだがそれも記載されていない。これを追加しておく。創業は1964(昭和39)年である。
「辰巳庵」は「駿そ」といわれていた。1979(昭和54)年頃、私は何度が食べていた。駿台予備学校に行っていた頃である。驚愕のしょっぱさで、友人と「すげえそばだ」と話題になっていた。大将は強烈な巨人ファンで、負けるといつも不機嫌で怖かった。水道の蛇口には鎖でつながれていたピンクのコップが1つだけ。天然の湧水地にあるような使いまわしのコップで飲むシステムに驚愕した。
とにかくつゆが濃い。血圧が上がるのが分かるようなレベルの濃さである。古めかしいビニールの暖簾がかかっていて開店しているのかどうかわからない。ワイルドな店だった。2004(平成16)年10月13日頃、「辰巳庵」は閉店。閉店前には日大病院の先生やOLさんも来ていた。あの界隈にお勤めの方なら、知らない人はいなかったと思う。そう考えるとあの大将は偉大だったと思う。

さて、現在「辰巳庵」があった場所をみにいったのだが、どうもよくわからない。2000(平成12)年頃の写真をみると隣が八百屋で奥が駿台予備校。

そこはすでに駿台予備学校の敷地になっていた。20年は本当にひと昔だ。記憶の中の「辰巳庵」である。

駿台予備学校を過ぎて右折すると、1979(昭和54)年の地図によると「彦左そば」という立ち食いそば屋があったよう。正直記憶になかった。そちらの方向へ行ってみると、現在は杏雲堂病院の敷地になっていた。

正面では「名代富士そば御茶ノ水店」が営業していた。
2025.08.30(土)
文=坂崎仁紀