たくさんの立ち食いそば屋があった神保町
現在に至るまで、神保町の交差点あたりには他にもたくさんの立ち食いそば屋があったが、残念ながら1979(昭和54)年時点では営業しておらず、地図には記載されていない。

交差点を水道橋方向に行けば「梅もと」(2015年5月閉店)、「二八屋」[2005(平成17)年4月閉店]などがあった。

1979(昭和54)年の地図をみていたら、「立食そばスエヒロ」という文字を発見した。そして、確かにここにあった記憶がよみがえってきたし、食べた記憶もあった。「立食そばスエヒロ」は「六文そば」系列のフランチャイズ。当時は都下に多く出店していた。「六文そば須田町店」を切り盛りしていた故鈴木氏もこちらの店にいたことを話されていた。地図をみないと思い出せないことがたくさんある。
現在のその場所にいってみると、酒屋が入った立派なビルになっていた。たしかにここに黄色い看板があった。記憶が残っている。少し興奮気味だ。
この店の先にあった「五佰両」[2005(平成17)年4月閉店]の店主が「立食そばスエヒロ」に客がたくさん来ているのをみて、一念発起して北千住に「そば千」を、その後東神田の「そば千」をオープンしたことはマニアの間では有名な話である。

御茶ノ水、神保町界隈は学生の街、書籍の街である。1979(昭和54)年の地図をみて現在との違いを散策して確認してみたのだが、感じたことは次の通りだった。
・喫茶店、洋食屋、立ち食いそば屋はだいぶ減少していた
・当時から人気の店は今も元気だった
・学生より観光客(お盆休みだったからかもしれない)やインバウンドが多かった
・地図をみて思い出す記憶があったことに驚いた
・立ち食いそば屋は現在、チェーン店が多く、個人店は昔より少ない
この「あのころangle 街と地図の大特集1979 新宿・池袋・吉祥寺・中央線沿線編」には、荻窪や中野などの中央線の駅も掲載されていて、そちらもまた衝撃の立ち食いそば屋が掲載されていたりする。


あのころangle 街と地図の大特集1979 新宿・池袋・吉祥寺・中央線沿線編
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2025.08.30(土)
文=坂崎仁紀