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それで私、もう永遠に死ぬことはないんじゃないかって

 ちょうど献本の作業を終えたばかりの彼女は、大きなまん丸のお腹を抱えてどっかりと椅子に腰かけていた。私にだけではなく、贈る本ひとつひとつに手紙をしたためていたらしい。「おじさんにはさ、こういうの大事だから」と言う彼女の足元にある段ボールにみっちり詰まった本の量を見て、相変わらずの丁寧な仕事に頭が下がる思いがする。「私がやっと結婚するのにもう2人目かぁ」と私が言うと、彼女はなんとも不思議な話を始めた。

「なんかさ、2人も子ども産んだら、自分の遺伝子はしっかり未来に繋がったなって感じ。それで私、もう永遠に死ぬことはないんじゃないかって、自分はもう不死身になったようなもんなんじゃないかって思うんだよね、今」

 足元におもちゃを咥えてやってきた彼女の飼い犬を撫でながら、私は子どもを産むとそんな気分になれるのか、と深々と感心した。「私も子ども欲しいよ」と返事をする私に、妹尾は「えぇ、そうなんだ! 亜和ちゃんからそんな話聞いたことなかった」と目を丸くして、続けて、

「子どもがいると、やっぱり子どもに悪い影響があることはしちゃだめだなって思う。私のせいで学校で先生に嫌われたり、いじめられたりしたら申し訳ないもん。発言とか、いろいろ考えるようになった。昔は思ったこと全部言っちゃってたけど、今はそうはいかないよ」

 と言った。考えたうえであの火力を保っているのかと私はまた驚いたが、それが彼女の仕事である以上、家族を守りながらも燃え続ける彼女の姿が、とても誇り高いもののように思える。私はこんなふうに仕事をやり続けられるだろうか。何年も燃えたまま生き残り続けて、それでも周りの人間に慕われているのは、まぎれもない彼女の努力と才能の結果である。どこにも書けないような人の悪口や思い出話をテーブルを挟んで次々と話すたび、妹尾は膨れ上がったお腹が破裂するんじゃないかと心配するほどの大きな声で笑い、私も同じく大きく笑った。私は話していてこんなに楽しい人を他に知らない。話しているうちに自分の頭もどんどん冴えて、頭の隅にたまっていた言葉がどんどん溢れてくる。妹尾は私の独特らしい言葉遣いをいちいち不思議がったり笑ったりもせず、同じ速度で真っ直ぐ返してくれる。私が彼女に感じる心地よさはそういうところなのだろう。

「いつも普通に喋ってるつもりなのに、周りにいじられて納得がいかない」と私がぼやくと、彼女は「あんたの引き出しの中、普段みんなが使わないもんが入ってるんだよ。変なんだよ、変」と言った。彼女は昔から「変」という言葉をよく使う。悪意を向けられても、不快に思うことがあっても、彼女はあらゆることを「変」で丸め込んでいる。私はそれを聞くのが昔から好きだ。どんな人間も完全には否定せず、「変」だと一笑に付して受け流し気に留めない調子は、聞いているだけで愉快になってしまう。

 私たちの中でテッパンの思い出話といえば、私が例の男と付き合っていたとき、実は妹尾もその男といちど寝ていた、という世にも恐ろしい話である。別れてしばらく経った後、彼女がヘラヘラとそれを白状したときの光景は今思い出しても笑えてくる。当時の私も、彼女があまりに悪気なく話すようすにつられて笑ってしまった。なにもかも終わったあとでふたりしていつまでも笑っていたあの夜のことを、今日も私たちは「あんたも私も変だよ、変」と言い合いながらいつまでも笑っていた。

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伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)。

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Column

伊藤亜和「魔女になりたい」

今最も注目されるフレッシュな文筆家・伊藤亜和さんのエッセイ連載がCREA WEBでスタート。幼い頃から魔女という存在に憧れていた伊藤さんが紡ぐ、都会で才能をふるって生きる“現代の魔女”たちのドラマティックな物語にどうぞご期待ください。

2025.09.02(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香