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彼と別れ、気がつくと私は妹尾に連絡をしていた

 それから2年ほど経ったある日、私は彼と別れることになった。彼とはその後もよりを戻したりまた振られたりしていて、最初の原因がもはや何だったのかは憶えていない。彼の女癖の悪さが原因だったことは間違いないが、どの女のことだったかは思い出せない。とにかく、私は自分の恋心に反して彼と別れなければならなくなり、心とは裏腹の決断をするという状況に人生ではじめて直面した。好きなのに、どうして別れるなんて言ってしまったのか。それが間違った決断ではないことは解っているけれど、心がどうにも納得せず、私は息がつまるような苦しさを味わっていた。誰かに聞いてほしい。彼と私のことを知っている人に、この寂しさを理解してほしい。気がつくと私は妹尾に連絡をしていた。どうして真っ先に彼女に連絡をしたのだろう。

 たぶん、「妹尾さんならなんとかしてくれる」なんて思ったのかもしれない。あまり話したこともないし、なるべく暗くならないよう「別れました! これまで仲よくしてくれてありがとう」と連絡すると、妹尾はすぐに私を慰める返信をくれて「よかったらうち泊まりに来なよ!」と続けて連絡をくれた。呆然自失のまま家にフラフラとやってきた私に、彼女は丈の短い部屋着を着せたあと、ひどく傷つけられた私が引くほどの、まさにマシンガンのような乱れ打ちで元カレの悪口を放ちながら、私の爪に綺麗なマニキュアを塗ってくれた。夜が更けてからはませた歌声で椎名林檎の曲を歌ってくれて、私が眠るまで、というか、眠ろうとしてもなお延々と話しかけてくれた。彼女の部屋はカーテンがついておらず、朝になると目が焼けるほど眩しい光が入ってきた。冷房のせいで南極のようになっていた部屋で一晩中相槌をうち、ろくに眠れなかった私は失恋とはまた違う理由で死人のような顔をしていたが、私よりも長く起きていたはずの妹尾は、午前中にはけろっとした状態でスマホをいじくっていた。

 それから何度も彼女の家に泊まりに行ったが、私は彼女が眠っているところをほとんど見ることができなかった。一晩中原稿を書いていることもあったし、ずっと誰かと電話をしていることもあった。私と彼女では、全く生命力が違うのだと、私はこの数年の間に思い知ったような気がする。

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伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)。

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Column

伊藤亜和「魔女になりたい」

今最も注目されるフレッシュな文筆家・伊藤亜和さんのエッセイ連載がCREA WEBでスタート。幼い頃から魔女という存在に憧れていた伊藤さんが紡ぐ、都会で才能をふるって生きる“現代の魔女”たちのドラマティックな物語にどうぞご期待ください。

2025.09.02(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香