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私はたばこの似合う女になりたかったのに

 どんなときでもこうやって美しい姿で歩いていこうと決めたというのに、今の私はどうだろうか。どこへ行くにもぺたんこの靴を履いて、床に積みあがったゆるりとしたシルエットのスウェットについ手が伸びる。背骨を支える筋肉は衰えてしまって、髪を洗うのでさえ後ろの壁にもたれかからないとままならない。なんとか起き上がって前かがみになった腹に醜い段が浮かび上がる。自信ありげに張っていた胸は、いつのまにか情けなく丸まってしまっていた。長い時間立っているのすら気だるくて、早く用事を済ませようと動きは雑になる。投げやりに動かした手に当たって物がバタバタと倒れ、どうしようもなくなって床にへたりこんだ。私は思い知った。私が誇りにしていた気高い佇まいは、若さがなせる体力の技であったことを。ここから先、あれを保つためには努力し続けなければならないということを。

 アニメや漫画に出てくる不滅の美女たちのことを考える。いくら甘いものを食べても肥え太ることはなく、常にたばこをふかしていても肌には一点の曇りもなく、決して老いることのない彼女たち。私はずっとあれに憧れていて、もしかすると自分もああなれるのではないかと夢を見ていた。動じない美しさと、揺るがない力強さを持ってこその魔女の再現。周りの誰もがみるみる年老いていっても、もしや私だけは、その急流から逃れられるかもしれないと、それらしき努力もせずに私はここまでやってきてしまったのだった。

 そういえば、一緒に暮らしていたころの母は、毎日欠かさず狭い床でトレーニングのようなことをやっていた。私は「毎日休まずよく続けられるものだ」という感心と「きっと私はあんなことしなくても大丈夫だ」という根拠のない優越感が入り混じった気持ちでそれを眺めていたが、もしかすると母も今の私と同じように、この真実に気づく瞬間があったのかもしれない。気高く居るにも体力が必要。自分が納得できるように枯れていくにも、最後まで花びらを落とさないまま色あせる力がなくてはならないのだ。そうでなければ、少しずつ萎れることもかなわず、椿の花のようにボトリと首を落とすことになる。

 気がついたからには、なにかしなければならないのだが、今のところ運動の楽しさに目覚める気配はない。相変わらず、上澄みの形を保つための化粧水や美容液だけが増えていく。どこまでごまかせるだろうか。とにかく、まずは時間をつくって病院に行かなくてはならない。きっとたばこもやめるように言われるに違いない。私はたばこの似合う女になりたかったのに。美しさと魅力的な不健康さ、どちらも得ることは無理らしい。

伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。最新刊は『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)。

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Column

伊藤亜和「魔女になりたい」

今最も注目されるフレッシュな文筆家・伊藤亜和さんのエッセイ連載がCREA WEBでスタート。幼い頃から魔女という存在に憧れていた伊藤さんが紡ぐ、都会で才能をふるって生きる“現代の魔女”たちのドラマティックな物語にどうぞご期待ください。

2025.01.07(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香