この記事の連載

 「私は幽霊というものをほとんど見たことがない」――なのに、毎晩のように襲いかかってくる原因不明の金縛り。調べるうちに、以前から憧れていた「気高さ」や「品」をキープするには、不断の努力によって勝ち得た体力が必要なのだと気づくことに。

 約一週間の青森旅行から帰ってきて以来枕元から遠ざかっていた嫌な気配が、数日前からまた顔を出すようになっていた。私が周囲の人々に「最近金縛りがひどくて」と漏らすと、彼らは口々に「部屋になにかいるんじゃない?」と言っておびえた顔をした。旅行から帰ってきて、すっかりそれがいなくなったという顛末を、私は冗談交じりに「悪霊は青森に置いてきちゃったみたい」と話していたが、その青森に置いてきたらしい悪霊は、どうやら執念深く、私の寝室を探して戻ってきてしまったようだった。あそこからここまで徒歩で帰ってきたとしたら、かかる時間はちょうどこのくらいだろうか。それにしてはずいぶん、のんびりと戻ってきたようにも思える。さては、道すがらの岩手でわんこそばでも食べて、日光で温泉にでも浸かっていたのではないのか。ありがた迷惑な律義さで帰ってきたばかりか、はじめたばかりのひとり暮らしの部屋まで突き止めてしまうなんて、まるでしつこい元カレみたいなことをする。

 ザーザーという激しい耳鳴りとともに今夜も目を覚ます。あ、きた、と思っているうちに身体はみるみるうちに硬直して、私はしばらくのあいだシーツのなかで一生懸命にもがく。少しでも抵抗する姿勢を示しておかないと、耳鳴りはどんどん大きくなって、私は得体の知れない力に押しつぶされそうになる。実際、この一連のようすが現実で起きていることなのかどうかはわからない。もしこれが現実のことで、一緒に眠っていた誰かがこの姿を目撃したとしたら、きっと私は凄まじい形相をしているだろう。首が意思とは関係なく上へ引き上げられ、自分が徐々に白目を剥いていくのがわかる。本当に悪霊に憑かれているみたいだ。数分間の格闘の末にやっと身体が自由になると、私は枕元の水を飲み、深く息を吸いこんだ。

 私は幽霊というものをほとんど見たことがない。たったいちど、家のなかで自衛隊のような恰好をした男が匍匐前進でこちらに迫ってきたことがあるが、なにせ幼い頃の記憶で、今になってみると本当に見たのかどうかも怪しかった。金縛りにかかっている最中も、それらしきものを見たことはない。幽霊を信じていないわけではないが、私は「見えない側の人」で、見たいとも思っていない。知り合いに見せてもらった“呪いの人形”や“覗くと死ぬ鏡”なんかも、なんの抵抗もなく平気で抱っこしてみたり覗いたりしてみたものの、私は呪われなかったし、不慮の事故で死んだりもしなかった。今のところは。

 グーグルで金縛りの原因について調べてみると、たいていのサイトには「不規則な生活」「ストレス」と書いてある。不規則な睡眠時間に、不安や、急な仕事量の変化……残念ながらどれも心当たりしかない。規則的な生活には向いていないと、自ら進んではぐれ者のような生活を送ってきた。最近は仕事の期日に日々頭を悩ませるようになって、いよいよこの自由気ままな生活に身体が悲鳴をあげ始めたのだろう。運動はしたくない、好きなものだけ食べて、好きな時間に寝起きして、酒もたばこも好きに呑む。こんな調子で年老いて死ぬまで逃げおおせるほど、やはり人生は甘くないのである。

2025.01.07(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香