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幕末と明治の黎明

 海上保安庁の方々とはここでお別れし、一路、西へ向かって一時間ほど。

 「越すに越されぬ大井川」を、車は一瞬で通り過ぎて山道を上がる。次第に標高は高くなり、眼下に大井川を見下ろす。その島田市金谷の高台にあるのが、「ふじのくに茶の都ミュージアム」。辺りは一面の茶畑である。息を吸い込むと空気は澄んで爽やかに感じられる。

 元々、茶の栽培が行われていたが、ここまで広大になったのは、明治時代以降のこと。

 江戸幕府が瓦解し、徳川家に仕えていた武士たちは、最後の将軍である慶喜を慕って静岡に入った。しかし最早、役目もなければ禄もない。そこで彼らは、茶の栽培を始めたのだという。

 更に、かつて橋のない大井川を渡るために蓮台などを担いでいた「川越人足」たちも、明治に入って大井川に橋が架かるようになると失業し、開墾に携わるようになった。

 そんな彼らの資金面での支援をしていた一人が、勝海舟であったという。

 こうして作られた茶は、当初、横浜港に運ばれ、そこから海外へ輸出されていた。その品質管理を徹底すると共に、静岡で火入れの加工をして商品を仕上げられるようになったことから、清水港から直接、海外へ輸出することができるようになった。結果、海外から商人たちが来日し、静岡に商館を構えるようになり、ますます輸出量は増大。清水港に入る船も増えて行った。

 そうした時代の要請が、あの清水灯台の建設に繋がって行ったのだということが分かった。

 のんびりと、淹れてもらった静岡茶を飲みながら、茶畑の向こうに聳える富士山を見て、ほっこりと一息。

「まさか、こんな山の中の茶畑と、あの清水港が繋がっているとはねえ……」

 旅のはじまりの時には思いもしなかった。

 あの、すらりとした天女のような佇まいの灯台は、江戸幕府の終わりをチャンスに変えた、静岡の人々のモニュメントでもあるのかもしれない。

清水灯台(静岡県静岡市)

所在地 静岡市清水区三保
アクセス JR静岡駅から東海道線でJR清水駅下車、清水駅からバス三保山の手線で約25分「三保本町」下車、徒歩約20分 東名高速道路清水ICから約30分
灯台の高さ 18
灯りの高さ※ 21
初点灯 明治45年
※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。

海と灯台プロジェクト

「灯台」を中心に地域の海の記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。
https://toudai.uminohi.jp/

◎灯台利活用モデル事業を継続!

「海と灯台プロジェクト」が、灯台の存在価値を高め、海洋文化を次世代へ継承していく取り組みとして実施している「新たな灯台利活用モデル事業」。(1)灯台の存在意義や継承理由を伝える。(2)灯台の存在価値を物語化する。(3)灯台の価値と利活用の可能性に戦略的に取り組む。これらの達成を目指し、2024年度も実施します。応募期間や資格、事業期間など詳細は「海と灯台プロジェクト」の公式HPをご参照ください。

オール讀物 2024年 5月号

定価 1,100円(税込)
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