「よせ、赤月(あかつき)に乱暴な真似をするな」

 カラスを締め上げて問いを重ねる奈緒を、青年がうんざりした様子で止めた。

 ちらっとどこかに顔を向けてから、奈緒を見て眉を寄せる。何かを迷っているらしい彼に、カラスが「ギョウゲツ家の嫁になる人物なら話は別だ、トーマ」と耳打ちした。

 青年は小さなため息をついてから、いかにも不本意といった顔と態度で、

「──ついてこい」

 と短く言うと、くるっと背中を向けて駆け出した。

 青年はまるで獣のような身のこなしで、木々の間を縫うようにして疾走した。

 柔軟で力強く、おまけに軽やかだ。四方の障害物などものともせずに地面を蹴り、伸びた枝を飛び越えて、あっという間にぐんぐん先へと進んでいってしまう。

 あまりにも速いので、奈緒は何度もその背中を見失い、木の根につまずいて転びそうになった。そのたびにカラスが「ホラ嫁、しっかりせい、こっちだ。そこに穴があるから気をつけろ」と励まして道案内をしてくれる。

 さっさと先に行ってしまった青年よりも、カラスのほうがずっと親切だ。奈緒はぜいぜいと息を切らしながら、内心で毒づいた。ついてこいと言ったわりに、一度たりとも後ろを確認しないとは、どういう了見なのだろう。

 ようやく足を止めた青年になんとか追いついた時も、彼はこちらを振り返ることなく、前方だけを向いて立っていた。

 文句を言おうとしたら、その前に声が聞こえた。

「──止まれ。その先に進むな」

 てっきり奈緒に対して言ったのかと思ったが、違う。青年の背中に隠れて見えないが、向こうに誰かがいるらしい。その誰かに対して、彼は厳しい声で警告を発しているのだ。

 息も絶え絶えだった奈緒は、呼吸が整ってくると同時に、やっとまともな思考を取り戻した。そうだ、先程からの話の流れから考えて、そこにいる人物に該当するのは一人しかいないではないか。

 慌てて足を踏み出し、青年を押しのけるようにして前に出る。彼に並んだところで横から伸びてきた腕に行く手を塞がれたが、その姿を視界に入れることはできた。

2024.05.18(土)