「その点、垂氷で鍛えられている雪哉なら、根性なしなんて事ないだろう? だから、お前なら心配要らないだろうと思って、お祖父さまの意見にも賛成したのだ。実際、こんなに長く若宮殿下に仕え続けられたのは、お前が初めてだ」
私の目に狂いは無かったと満足げに笑う喜栄は、雪哉が垂氷で何と呼ばれているか、聞き知っていないのだろう。結果的に気に入られたから良かったようなものの、一歩間違えれば長続きするどころか「北領の恥」とまで言われる事態が起こりかけていたとは、まさか夢にも思うまい。
雪哉が曖昧な笑いを浮かべているうちに、待っていた手紙が民政寮に届いた。しかも、何やら上の方から命令があったらしく、喜栄の職場も騒がしくなって来た。雪哉は挨拶もろくにせず、そそくさとその場を後にしたのだった。
若宮にこき使われて、朝廷の中を駆け回っているうちに、雪哉にも分かって来た事がある。
宮廷内での若宮殿下の評判は、あまり芳しくない。
行く先々で、若宮の非常識を嘆く声は聞かれたし、中には、若宮が日嗣の御子であるという事、そのものに対して、不満を持っているような言動をする者もいた。だがこれは、若宮自身の奇行のせいばかりでなく、若宮の実兄である長束の出来の良さが、それに拍車をかけているようだった。
十年ほど前の政変で、日嗣の御子の座を追われた長束は、今でも遺憾なくその人柄を発揮して、人望を集め続けているらしい。頭脳は明晰であり、温厚でありながらも、いざという時は果敢であるという気質、おまけに背も高く見映えもする美丈夫とあれば、人気が出ない方がおかしいというものだ。
また長束は、明君と名高かった先の金烏によく似ているのだという。当時を知る古株の高官は、大声では言えないが、四家の言いなりとなっている今上陛下を物足りなく感じているらしく、長束は期待の星であったようだ。
それなのに、十年前の政変で長束は日嗣の御子の座を下りる事になり、がっかりした者も多かったのだとか。若手だけでなく、高位高官の老翁達からも絶大な支持がある長束に、外界帰りで、なおかつ奇行ばかり目立つポッと出の若宮が敵うはずもない。今では、表立って若宮に味方するのは、若宮の母の実家である西家だけというありさまらしかった。
2024.04.15(月)