「その目的を成就するためには、児玉が適任者だと判断され、協力者にしたいと米国は考えたのではないだろうか」と真山はつづる。「米国人には到底理解できない日本の政財界や闇の紳士との交流はもとより、表では処理できない案件の始末屋として、児玉は使えた」
ソ連や中国の共産主義に謀略で対抗するために、一九四七年、米政府の諜報の元締めとなるべく中央情報局、すなわちCIAは生まれ出て、児玉はそのアセットとなる。
「現地のアセットを指揮監督するための人物を、工作官という。コントローラーは可能な限り、目立たない方が良い。(中略)アジア系ではない米国人は、日本では動きにくい。そこで白羽の矢が立ったのが、福田太郎だったのではないか」
CIAのアセットとしての児玉を操る役目を担ったのが福田だった疑いがある、というのだ。
「児玉が通訳として福田に目をかけたのではなく、福田がアセットとして児玉を見付けたのだ」
莫大な資金と暴力団や右翼を背景に、児玉は自由民主党の結党を助け、同党の領袖たちを陰に日向に支援した。そのようにして日本の共産化を防ぎ、天皇制を守ろうとした。それは米国の利益とも合致していた。
一九七六年二月四日(日本では五日朝)、ロッキード社から児玉や日本政府高官らに三〇億円が渡ったとされる疑惑が米議会上院で暴露されると、その二日後の二月七日に福田は血便のため東京女子医科大学病院に入院した。疑惑をめぐって大騒動が続くさなかの二月半ば、福田は病床で新聞記者の取材に次々と応じ、「児玉氏をロ社に紹介したのはあなたか」との質問に「私だ」と答えた。同月二六日、東京地検特捜部の検事による取り調べに応じ、以後、連日の聴取に、福田は、ロッキード社から児玉への一〇億円を超えるカネの流れを認めた。
疑惑が発覚してわずか一カ月あまり後の三月一三日に特捜部が真っ先に児玉を罪に問うて起訴した際には福田の供述が脱税の裏付けの決め手となり、その後、ロッキード社の幹部らを対象とする嘱託尋問を米国に求めるにあたってその根拠資料としたのも、福田の供述調書だったとみられる。
2024.01.10(水)
文=奥山 俊宏(上智大学教授・元朝日新聞記者)