しかし、政界へのカネの流れについての捜査がまさに佳境に差し掛かろうとする五月二八日、五九日目の取り調べが最後だった。福田は、五月三一日ごろから黄だんが出て危険な状態に陥り、六月一〇日、肝硬変のため、あの世へと旅立った。特捜部の手元に三五通の供述調書が残された。
「福田が死の間際に東京地検特捜部に協力したのも、彼がコントローラーだとしたら、腑に落ちる。検察の捜査をCIAの思惑通りに進ませるための戦略だったのではないかと考えるのは、私の妄想に過ぎないのか。仮にもパートナーだった児玉を、なぜ、裏切るのか。それは、福田の祖国(アメリカ)への最後のご奉公が、検察をミスリードすることだったからではないか――」
ここで真山の言う「ミスリード」というのは、アメリカ政府首脳が嫌う前首相・田中角栄に捜査の矛先を向けさせることであり、また、アメリカ政府やCIAにとって役に立つとみなされたそのほかの政治家、たとえば、中曽根康弘らをして捜査の網の目をくぐり抜けさせて、日米関係への傷を最小限に収めること、いや、むしろ、日米関係のバランスをさらにアメリカ側に有利に傾けさせることだったのだろう。
一九八〇年代に五年にわたって総理大臣を務め、日米関係の蜜月を築いた中曽根について、真山の筆鋒はとても鋭い。
「あれほど国産兵器にこだわっていた中曽根が、国防会議ではPXL国産化の白紙還元について、静観したのが不可解である」
防衛庁長官として次期対潜哨戒機(PXL)を日本独自に開発する方向性を決定したはずの中曽根が、一九七二年一〇月九日にあっさりと、それを白紙にするのに同意し、ロッキード社のP−3Cの購入へと道を開いたことに真山は疑いの目を向ける。
「児玉が中曽根に、何らかの政治的請託をしていたとしたら、その見返りに相当額のカネを渡した可能性はかなり高い」と指摘する一方で、「中曽根という男は、カネでは転ばない気がする」とも迷う。ロッキード社から児玉に渡った二一億円について、「その一部でも児玉が中曽根に渡した痕跡は見つかっていない」と慎重である一方で、「ロッキード事件に深く関与していた」と言いきる。
2024.01.10(水)
文=奥山 俊宏(上智大学教授・元朝日新聞記者)