『騙る』(黒川 博行)
『騙る』(黒川 博行)

 その依頼はある日、指令のごとく突然やって来た。

 私は文筆を生業(なりわい)としている身ではない上に、美術業界の関係者とはいえ現在活動中の美術家をサポートする仕事をしており、本書のテーマである古美術にはまるで不案内である。だが不思議なことに、まったく面識のない黒川氏本人よりご指名を受けてしまったために、「文章を紡(つむ)いでみたい」という衝動に駆られてしまい、いま、無謀にもこの解説を書き始めている。

 まずは極めて個人的な事情から綴(つづ)ることを、お許し願いたい。

 黒川氏とは未だかつて一度もお会いしたことがないのだが、実は氏の奥様であり日本画家の黒川雅子さんのことはよく存じ上げている。氏の著書の表紙を飾る美しい絵画作品のほとんどは雅子さんの手によるものだということは、黒川ファンならば誰もが知るところだろう。

 雅子さんとは現在、「絵描き仲間」としてお付き合いいただいているが、若い時分に美術モデルで生計を立てていた私は、幾度かデッサンモデルの一人として描いていただいたこともある。

 月日は流れ、縁あって私は遅めの結婚をした。相手は、京都を舞台にした推理小説作家、故・山村美紗(みさ)の夫だった、山村巍(たかし)という人物だった。彼は数学教師を定年退職後、画家に転身した。巍と私は、美紗が生前執筆生活を送っていた京都東山の家で暮らしていたが、彼は昨年夏、結婚生活十四年目に、九十三歳で他界してしまった。

 年の差三十九歳の夫婦だったということもあり、私のことを「後妻業の女」などと訝(いぶか)る声も耳に入っていたが、敬愛する雅子さんのご主人の作品に準(なぞら)えての発言なので、当人らは案外面白がっていて、主人と二人で大竹しのぶさん主演映画を観に映画館へ足を運んだことなども、今では懐かしい思い出の一つとなっている。

 さて、『騙る』は「美術骨董ミステリー」という、黒川氏が最も得意とするジャンルの短篇集である。シリーズ化はされていないが、『文福茶釜』、『離れ折紙』という、同ジャンルの先行二作品がある。

2024.01.01(月)
文=山村 祥(SYOサロン代表、画家)