誰もが自分の老いと死を受け入れられない
命の終わりに際して、1日でも生きられる権利が買えるとしたら……。
老化が進んで思うように動けなくなった時に、若い頃の元気な体で過ごせる時間が得られるとすれば……。
人はどれほどの大金を積むだろうか。
古今東西、権力も金もほしいままにした人間が、究極的に求めるもの──秦の始皇帝も、エジプトのファラオも、そして現在の世界の富裕層も躍起になって求めているのは「不老不死」である。ロシアのプーチン大統領も、老化を食い止める効果があると考えられている鹿の血の風呂に入っているとメディアで報じられたことがあった。
ハーバード大学で医学教育にも使用されたという作品に、トルストイの『イワン・イリイチの死』という小説がある。
死に瀕してもイリイチはそれを受け入れることができない。そんな時に、論理学で三段論法を学んだ時の例文を思い出す場面が印象的だ。
「カイウスは人間である。人間はいつか死ぬ。したがってカイウスはいつか死ぬ」
イリイチは、この三段論法は、カイウスに関しては正しいことを理解している。しかし、自分についてはどうしても正しいこととは思えない。
「カイウスが人間であり、人間一般であること──そこには何の問題もない。だが自分はカイウスではないし、人間一般でもなくて、常に他の人間たちとはぜんぜん違った、特別の存在であった。彼はイワン坊やであり、ママがいて、パパがいて、(中略)、幼年時代、少年時代、青年時代それぞれに、たくさんのうれしいこと、悲しいこと、喜ばしいことを味わってきたのだ」(望月哲男訳)
人は必ず死ぬことは理解していても、自分自身に限ってはその真実を簡単には受け入れられない。そこには多くの人と関わりながら生きてきた過去の時間や、この先に描いている未来があるからだ。
しかし、どれだけ不老不死が人類の永遠の夢であっても、決定的な妙薬や技術はいまだ発見されてはいない。
2023.12.13(水)