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アカペラで披露された江差追分
会館には百畳敷のホールがあって、江差追分の実演を観覧できる。ひょうと吹かれる尺八、凜とした音を放つ三味線に合わせて、歌声は勇壮と繊細を行き来する。節回しは複雑かつたっぷりしていて、無理に文字に起こせば「鷗の」は「カモォーメーェーイェーノォーオーオォー」とうたう。抑揚のひとつひとつに港町の喜怒哀楽が込められているようで、迫力に圧倒されたぼくは、その感動のままCDを三枚買った。
それから、近くにある「Café香澄」に移動して昼食をいただいた。江差追分の全国大会で優勝された木村香澄さんがやっておられるお店で、大振りな唐揚げとサラダ、黒豆ご飯のランチを堪能した。イヤァおいしかったと言いながら食後のコーヒーをいただいていると、木村さんがおもむろに店内のステージに立ち、マイクを握った。
―鷗の鳴く音にふと目を覚まし、あれが蝦夷地の山かいな。
ぼくにとってはまことに贅沢な時間でもあったのだが、木村さんはアカペラで、かつすぐ目の前で江差追分を披露してくれた。他の楽器がないぶん、ふくよかな声と節回しの妙がはっきり聞こえる。ステージの後ろにある大きな窓が江差の青い海と空を切り取っていて、遠くに来たなあ、とまたも感動してしまった。
お店には細野晴臣の写真とサインがあった。野暮な説明で恐縮だが細野氏は、はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、YMOなどのバンド活動、また荒井由実など多数のプロデュースで知られる偉大な音楽人である。なんと木村さん、十四歳のころに細野晴臣のアルバム制作に参加していたという。ぼくはエーッと声を上げて驚き、そのアルバムが未聴だったことをとても残念に思った。
ここで時間は後に飛ぶが、北海道の旅を終えて自宅に帰ったぼくは、前から迷っていたちょっといいスピーカーと『オムニ・サイトシーング』を買い求めた。一曲目の「ESASHI」で、また江差追分会館で購入したCDで、木村さんは広く深く細やかに、伸びやかに、うたっておられた。
2023.11.16(木)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年11月号