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歌い継がれる歴史
シラフラの景色を堪能したあと、車で江差へゆく。
西に日本海を望む江差の、その地名の由来は定かでない。孫引きだが江戸時代の書籍では「夷語エシヤシなり。則、尖く出たる崎といふ事。(略)未詳」とあり、アイヌの人々の生活圏であったことは間違いないだろう。『江差町史』では、付近で古戦場を思わせる不規則な形態で人骨が出土していることなどから、悪い砦、不吉な砦などと訳せるアイヌ語「Wen-chasi」が由来と推測している。
江戸時代、江差はニシン漁と檜の伐り出しで栄える和人の港町になっていた。ことニシン漁は有名で「江差の五月は江戸にもない」とうたわれるほど賑やかだった。大きな商家、小振りな町家、蔵。かつての繁栄を偲ばせるあれこれが、いまの江差市街にはたくさん残っている。
車を降りたぼくは、担当編集氏に連れられて町を歩き、カメラマン氏の前で恰好をつけたりしながら江差の情緒を満喫した。
江差追分会館に入ったのは、思い付きだった。名の通り江差追分の魅力や歴史を紹介する施設で、充実した展示はとても見ごたえがあった。
江差追分は、三味線や太鼓に合わせて朗々と歌いあげる民謡である。もとはニシン漁の網を引くヤン衆たちの歌、船主たちが遊んだ料亭のお座敷唄のふたつがあり、明治末から大正初めにかけて現在伝わる形に整えられた。会館の展示によると、さらに起源をたどれば信州の馬子唄に至るのだという。本州の内陸に生まれた歌声が流れ流れて、北海道で江差追分となった。人の活動範囲は広く、各地の文化は人間の足跡のようなものだ。時代の風がその足跡を消してしまうけれど、できる限り残っていてほしい。
2023.11.16(木)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年11月号