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乙部町の滝瀬海岸
そういえば、精密機械工業がさかんな諏訪盆地は「日本(と思っていたが「東洋」が多数派らしい)のスイス」であり、ぼくが育った大阪市はむかし「東洋のマンチェスター」と呼ばれた、などと地理や歴史の授業で習った。北海道にいて諏訪や大阪に思いを致せるのだから、教育は偉大だ。知識は増えれば増えるほど、網膜や鼓膜が感じ取った何かに興味深い奥行きを与えてくれる。おかげで退屈しない人生を送れている。ぼくの学業が大成にほど遠かったことは付言しておきたい。
滝瀬海岸には色が抜けた枯れ枝や古タイヤ、プラスチック製の容器など、さまざまな物体が流れ着いていた。ハングルや中国語の簡体字がプリントされたプラ容器もあった。国境は具体的な存在でなく、実体のない抽象的なものである、という当たり前の事実に改めて思い至った。はるか太古、東アフリカの片隅で誕生した現生人類も、安住の地を求めて国境なき山を越え、海を渡ったのだろう。
ところで滝瀬海岸のすぐ北は乙部の町である。今回の旅では立ち寄れなかったが、そこには「箱館戦争官軍上陸の地」の碑が立っている。
ときは幕末、徳川幕府は当時の最強艦「開陽丸」を旗艦とする精強な海軍を養っていた。明治維新が戊辰戦争という内戦に発展すると、榎本武揚率いる幕府海軍は北上、渡島半島南部を占拠して箱館に本拠を置いた。ただし半島平定の途中、開陽丸は江差の沖合で暴風雪に遭って沈んでしまう。
海軍力で拮抗した新政府軍は乙部に上陸し、箱館へ進撃する。榎本軍が降伏して内戦が終結するのは明治二年の五月。本企画「『灯台』を読む」の切り口から眺めると、以後の明治新政府は近代的な灯台の建設に邁進していく。
2023.11.16(木)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年11月号