●曽我部恵一に評価され、自信に結びつく
――そこから、MOROHAはどのように生まれるのでしょうか?
就職とかで、クルーが音楽から離れていくなか、美容師の専門学校を卒業しながら、「美容師やりたくないな」と思っていたんですよ。そのことを親に話したら、「あと2年間好きなことしていいから、そこで一生やれる仕事を見つけろ」って言われたんです。
それで相方のUK(アコースティックギター担当)とラップをしながら、サラリーマンやったり、コンビニやマンガ喫茶でバイトしたりしてたら、1年半経っちゃって……。
残りの半年で、結果が出なかったら諦めるつもりで、UKに「改めて一緒に頑張らないか?」と声をかけて、MOROHAが生まれました。そして、半年ギリギリでCD「MOROHA」をリリースできました。
――2010年のサマーソニックへの出場権をかけて争う「出れんの!? サマソニ!?」にエントリーされたときのエピソードも興味深いです。
エントリーはしたんですが、俺ら1次審査のお客さん投票で落ちてしまったんですよ。でも、曽我部恵一さんが「こいつらカッコいいから、2次審査まで進ませようぜ」と推してくれたんです。
最終的には本選には出場できなくても、曽我部恵一賞(特別賞)をくださったんですが、それまで誰にも褒めてもらったことがなかったから、曽我部さんがいいって言ってくれたことで、「これで本当にいいんだ」という自信がつきました。
だから、これが大きな転機です。それから8年後に、サマソニのステージに立ったんですが、ホント「ざまあみろ!」な気持ちでしたね。
――そんな18年にメジャーデビューするまでの8年間の活動は?
曽我部さんが絶賛してくれたから、CDが売れるんじゃないかと思ったけど、現実はまったく甘くなかったですね。
自分たちでCDを手売りして、チラシ配ってという地道な活動が続き、3年後に2ndアルバム「MOROHA II」を出しても、まだなかなか反応がなくて……という時期がありましたね。その間に、ナレーションのお仕事とかいただいて、ホント助かりました。
2023.11.03(金)
文=くれい響
撮影=平松市聖