この記事の連載

 新刊『恐い食べ物』を上梓した「事故物件住みます芸人」こと松原タニシさん。本書には、食べ物が引き起こす恐ろしい話、タニシ氏が得意とする旅先での恐怖体験や歴史的奇譚まで、さまざまな恐怖が納められています。

 今回は、その中から、とりわけ身の毛もよだつ、4種のスペシャリテを選んでいただき、後日談も交えて深堀り。

 タニシシェフが厳選した、“恐怖のフルコース”を召し上がれ。

「松原タニシが体を張って挑んだ恐怖 人体を養分にした貝割れの味は?」を読む


◆桃

「桃に砂糖をつけて食べると死ぬ」

 「桃に砂糖をつけて食べると死ぬ」という言い伝えがあるのをご存知ですか。

 これはHさんという男性からお聴ききした話です。Hさんは20数年前、仕事で青森県の弘前(ひろさき)に出張していたんだそうです。時季は、まだ雪が残る3月中旬の夕暮れ時でした。

 Hさんは仕事を終えて宿へ帰ろうと思い、タクシーに乗りました。乗車したHさんが他府県からの来訪者だと知ったタクシーの運転手さんは、「弘前にはいいお寺があるよ」と言って、ある寺院を案内してくれたんだそうです。その寺には、なんでも不思議な逸話があるのだそうな。

 連れられてきたお寺は、一画に大きな「火の見やぐら」が立っていましてね。「火の見やぐら」とは、火災を防ぐために建てられた塔のことです。火事を早期発見するために町全体を見渡せるよう、見晴らし台がついています。そして火事が起きたことを叩いて知らせる鐘が吊られているのが特徴です。

 お寺に残された逸話というのが、これがまた奇妙な話でね。500年ほど前、地元の若殿様が桃に砂糖をつけて食べたんだそうです。すると若殿はその日のうちに急死してしまった。悲しんだ殿様は若殿の亡骸をこの寺に埋葬しました。

 昭和初期、近畿の某大学が遺跡調査を目的にこの寺を調べたところ、火の見やぐらが立つ地面から石棺が出土した。棺を開けてみると、桃に砂糖をまぶして食べて死んだと伝えられる若殿らしき遺体が出てきた。しかも遺体は腐敗せず、まるで数日前に亡くなったかのように“死にたて感”があったんだそうです。

 Hさんは、ガイドしてくれた運転手さんの話を興味深く聴きながら、火の見やぐらを眺めていたのだとか。

 それから数年、再び弘前を訪れたHさんは、レンタカーを借りて「桃に砂糖をつけて食べた若殿」ゆかりの寺へ再び向かってみました。

 すると、そんな寺、ないんです。どこにも。火の見やぐらも存在しない。地元の人たちも「桃に砂糖をつけて食べたら死んだ若殿? そんな話、聞いたこともない」と、けんもほろろ。「なんだったんだ、あの桃の話は……」。Hさんは途方に暮れてしまったんだそうです。

 ……というエピソードをこの本に書いたら、読者から、こんなメールをいただきました。

「タニシさん、それは津軽藩(弘前藩)の跡継ぎだった津軽承祐(つがる つぐとみ)ではありませんか。1855年に18歳で死亡したと伝えられています。婚約者の地元から送られた桃に砂糖をかけて食べ、お腹を壊したのが原因で亡くなったそうです。

 弘前のお寺で弔われ、その後、お寺の墓地移転のため昭和29年(1954)に埋葬された墓を調査したところ、津軽承祐だと考えられる遺体が腐敗せず蝋(ろう)化した状態で発見されたそうなんです。いわばミイラですね。その後、ミイラは、永久保存処理を施したのちにしばらく一般公開されていたのですが、津軽藩の子孫の意向で平成7年(1995)に火葬され、再び埋葬されたと聞いています」

 500年前ではなかった。江戸時代でしたけれど、タクシーの運転手さんが言っていたことは、大筋では当たっていたんですね。遺体が腐敗していなかったということは、桃には遺体を腐らせない効果があるのでしょうか。

 こんなふうに本って、出版したあとに新たな事実がわかる場合がけっこうあるんです。ただ、Hさんが目撃した「火の見やぐら」は、やはりそれらしきものはどこにも見当たらなかったのだそうです。あと、やっぱり「桃に砂糖をかけて食べたら死んだ」って、それが謎のままですよね。

2023.08.08(火)
文=吉村智樹
写真=志水 隆