『浅草キッド』と『浅草ルンタッタ』――劇団ひとりの創作論

 ベストセラー化した小説『陰日向に咲く』、小説から映画まで自身が手掛けた『青天の霹靂』、ビートたけしの若き日を描いたNetflix映画『浅草キッド』――。お笑い芸人・映画監督・脚本家・小説家と様々な顔を持つ劇団ひとり。彼が12年ぶりに書き下ろした長編小説『浅草ルンタッタ』が、発売中。

 過去作と同じく自身のホームグランドである浅草を舞台にしつつ、描くのは20世紀初頭の姿。日本に渡ってきたオペラが独自のアレンジを遂げた「浅草オペラ」を題材に、毎日を懸命に生きる人々を温かく見つめた人情劇が展開する。

 CREA WEBでは、劇団ひとりの創作術にフォーカス。物語が生まれるまでの過程を細かく教えていただきつつ、「育児と仕事」や「時代とは?」「想像とは?」という深遠なテーマについても伺った。

映画『浅草キッド』の編集中に「また小説を書こう」

――『浅草ルンタッタ』の構想は、映画『青天の霹靂』のロケハン中に浅草オペラを知ったことから始まったと伺いました。ただ、その後に映画『浅草キッド』の制作に移り、同作の制作中にこちらの本格的な執筆にとりかかったと。

 ややこしいですよね(笑)。浅草オペラを知って、これを題材に執筆したいと思っているうちに「俺は本当は『浅草キッド』を映画化したいんじゃないか。浅草オペラにうつつを抜かしている場合じゃないのでは?」と自問自答するようになりました。なにせ『浅草キッド』は、僕を作ったといっても過言ではない本。10代のときに読んで、お笑いの世界に憧れました。

 当時はまだテレビに出ている芸人しか知らなくて、下積みがどんなものかわからなかったんです。テレビをつけてもスターしか出ていないし、お笑いライブがあることさえ知りませんでしたから。だからこそ『浅草キッド』は衝撃で、僕はあんな泥臭い師弟関係に憧れてお笑いの世界に入りました。

――『浅草ルンタッタ』の構想を練るなかで、『浅草キッド』映画化への想いを自己発見したのですね。

 そうですね。「絶対に『浅草キッド』を撮りたい」と思うようになり、そこからは誰に頼まれてもいないのに脚本を書いて、方々に持って行って「撮らせてください」とお願いしてはうまくいかず……結局何年もかかってしまいました。ただなんとか実現できて撮り終わり、編集をしているくらいのタイミングでまた「小説を書こう」と『浅草ルンタッタ』に取り組み始めました。

 ちょうどコロナ禍の外出自粛期間で、えらく時間があったんです。「何か書こうかな」「そうだ、前に浅草オペラのことを調べていた」となって書き始めた、という流れですね。

――『浅草ルンタッタ』は12年ぶりの書き下ろし長編小説ですが、その間に3人のお子さんが生まれました。育児と仕事のバランスを見つつ、これくらいの期間が必要だったという感覚でしょうか。

 一番上の子がいま11歳なので、子どもができてから書いていないんですよね。でも、「両立が……」というよりも、僕がそこに時間を割きたくて割いているんです。休みの日には子どもをどこかに連れて行ってあげたいし、なるべく一緒に過ごしたい。これ(執筆)で家賃を払うとなったらまた話は違ったと思いますが、僕にとって執筆は“横に置きやすいもの”ですから(笑)、自然とこうなった気がしています。

 僕はよく自分が死ぬときのことを考えるのですが、自分が死ぬときに「子育てしないで小説を書いていればよかった」なんて、まぁ思わないですから。「あのとき仕事なんかしないでもっと子どもたちと過ごしてやればよかった」と思うに決まってる。そもそも悩むことはないんです。自分の人生において、優先順位ははっきりしていますから。

2022.10.22(土)
文=SYO
撮影=石川啓次