「いざまとまった時間がとれたら急にゴルフをしたくなる…」

――「死ぬときに後悔しない方を選ぶ」という生き方、沁みます……。

 それでここまで時間が空いてしまったわけですが、そこで先ほどお話ししたコロナ禍の到来です。

 コロナ禍というのはありがたいことに「ステイホーム」期間ですから、休みの日にも堂々と家にいられる。そういう意味でいうと、タイミング的にも僕にはありがたかったです。自分がコロナになったときは10日間くらい隔離生活で誰にも会えず、結果的に仕事がはかどりました(笑)。小説のゲラを直して、ドラマの脚本を書き上げて、漫画の原作を書いて……。めちゃくちゃ仕事が進みました(笑)。

――すさまじい量ですね(笑)。劇団ひとりさんの普段の創作スタイルは、お仕事の合間にスマホ等にメモをして後から清書をするのか、じっくり腰を据えて書けるタイミングまで待つのかどちらでしょう?

 両方ですね。大体「まとまった時間ができたらやろう」といいながら、いざまとまった時間がとれたら急にゴルフをしたくなり、すべてゴルフに注いで「いよいよ時間がヤバい」となって徹夜したり、収録の空き時間などに楽屋で必死に書いて「ゴルフに行かなければよかった……」と思うという、そんな繰り返しです(笑)。

――これまでの作品もじっくり時間をかけて完成させるものが多かったかなと思いますが、そうすると速筆というよりは遅筆のほうなのでしょうか。

 多分そうなんでしょうね。ただ、書いている時間自体は決して長くはないんですよ。やったら早い。一番厄介なタイプですね。やればできるんだけど、なかなか筆を執らないという(笑)。

 でも、やらなかった期間に別でやっていることが、いい影響を与えているとは思います。仮に10年くらい前に戻ったとして、『浅草ルンタッタ』を書き上げてから『浅草キッド』に取り掛かったとしたらどちらもいまとは全く別の作品になっていたでしょうし、何を経験して何を感じたかによって変わるものだと感じます。それが良いことか悪いことかはわからないけど、確実に変わるという意味では「いまやりたい」という衝動は大事だなと思います。

――『浅草ルンタッタ』では三人称に初挑戦されましたが、いまのお話を聞いて『浅草キッド』の脚本制作の経験が影響しているのかも? と思いました。

 そうかもしれませんね。物語を作るうえで「これは一人称だと描き切れないな」と感じて三人称にしたのですが、そこには映画のテンポで考えると……というような意識もありました。ただ、映画の文脈に引っ張られすぎてしまい、担当編集者さんから「脚本みたいな書き方はやめてくれ」と言われたりもしましたね。脚本のト書きみたいに、毎回場所の説明から始まる形が多かったので、それは調整していきました。

――となると今回は、劇団ひとりさんの脳内に映像が浮かんでいて、それを文字に起こしていく形だったのでしょうか。

 それは昔からですね。映像ありきなところがあります。

――なるほど!『浅草ルンタッタ』は資料を読み込んで想像しながら作っていく瞬間も多かったかと思いますが、執筆にあたり設計図のようなものは用意されたのでしょうか。

 ラフスケッチ程度ですが、実際に絵を描きました。燕屋などは間取りを自分で描いて考えたり、後は浅草にしょっちゅう行っていることもあって「燕屋はこの辺りにあって、川に行くときはこのルートを歩いて……」というのは自分の足で歩いてみて考えました。

――シナハン(シナリオハンティング。脚本を書くために舞台となる場所を取材すること)のような形ですね。

 そうですね。頭の中で想像しているだけだと限界があるので、できることはなるべく実際にやるというのが自分のスタイルでもあります。

 『浅草ルンタッタ』もそうですが、セリフを実際に声に出してみることもよくやります。自分なりにその役になってセリフを声に出すと「このニュアンスだと伝わらないな」「これはこのキャラクターっぽくないな」のように、字面だけではわからないことが見えてくる。耳から音が入ってくると印象がガラッと変わることもありますから。

2022.10.22(土)
文=SYO
撮影=石川啓次