劇団ひとりが考える「現代の想像力」

――劇団ひとりさんはこれまで浅草を舞台に過去の時代を描かれることが多かったかともいますが、人によっては「いまの時代にどう届けるか」を念頭に置いて作る方もいらっしゃるかと思います。その辺り、いかがでしょう?

 僕はあんまり考えません。自分がいまの時代に何を伝えられるのかは考えてもよくわからないし、「1人の人間にそんなことできるのか?」と思ってしまう。僕なんかが「この時代に伝えたい!」と思うこと自体がおこがましいというか。だって、『徒然草』だってきっとたまたま後世に残っただけで「この時代に何を記すか」という心構えで書いていないと思うんです。

 ただ、屁理屈ではありますが僕自体がこの時代の産物であり、この時代の中で色々なものを見て聞いて感じているわけだから、いまこの時点で書きたいと思って書いたこと自体がこの時代だからこそといえるのではないでしょうか。

――現代は「想像力の欠如」が叫ばれる時代ですが、劇団ひとりさんはどう受け止めていますか?

 確かに、みんなものすごく受け身ですよね。アウトプットすることが昔に比べて少なくなってきたと感じるし、アウトプットの仕方さえも誰かの模倣だったりする。そういう意味では、小説でも映画でもいいけど何かしらの“物語”を作って人物に向き合うと、人間をものすごく知ることができるような気がするんです。

 この間、戦没画学生の作品を集めた美術館を題材にした『無言館』というドラマをやらせていただいたのですが、作品を作っている間に戦争に行った張本人のことも遺された家族のこともものすごく考えるわけです。考えて考えて、やっと心が痛くなる。最初にこのドラマの話を聞いたときは「そうなんだ」くらいでしたが、資料をたくさん読んで頭の中で想像して、「どんな感情なんだろう」とセリフを考えて、そこでやっと遺された絵を見たときに心が痛くなる。そこまでいかないと想像するうちに入らないんですよね。ただ状況を思い浮かべるだけじゃなくて、そこにいる人の気持ちを想像するのが大事だと思います。

 だから、「人の気持ちを知れ」みたいなことを言っても、そんなんじゃ人の気持ちなんてわかるわけがない。とにかく真剣にその人のことを調べて、何回も咀嚼してやっと心が動くわけだから、そこまでやらないと「想像した」とはいえないな、とは感じます。

劇団ひとり(げきだん・ひとり)

1977年2月2日生まれ。千葉県出身。1993年にデビューし、2000年よりピン芸人に。2006年『陰日向に咲く』で小説家デビュー。2014年、映画『青天の霹靂』で初監督。2021年にはNetflixにて映画『浅草キッド』の監督・脚本を担当した。

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2022.10.22(土)
文=SYO
撮影=石川啓次