「書いているときに思った方が絶対的に正しい」
――『浅草ルンタッタ』は各キャラクターが非常に生き生きしていますが、そうやって作っていかれたのですね! ちなみにキャラ表のようなものは用意されるのでしょうか。
キャラ表まではいきませんが、「何年に生まれて、このとき何歳で……」といった各キャラクターの年表は作りました。
――初登場時には一見無関係に思えるキャラクターたちがどんどん収束して筋が見えてくる構成も興味深かったです。
まずざっくりしたプロットを用意するのですが、その段階で色々な資料を読んだうえで使えそうなアイテムをたくさん用意しておくんです。それを見つつ「これはここに使えるな」「こんなキャラクターがいたら面白いな」を考えていく。ちょっとパズルみたいに組み合わせて作っていくことが多いですね。
――ということは、使わない要素もたくさんある……。
そうですね。取捨選択はちゃんとやらないといけない。どうしても自分が調べて見つけたネタだと全部入れたくなってしまうのですが、そうすると要素がごちゃつくし、そのネタを入れたいがために物語をねじ曲げてしまったら本末転倒じゃないですか。それは小説に限らず、創作全般に言えることかなとは思います。
――小説にしろ脚本にしろ、「女性/男性言葉が書けずに苦労する」というような悩みも聞きますが、劇団ひとりさんはいかがですか?
セリフに関してはそんなにありません。どの登場人物にも愛着があるから、自然としゃべってくれます。
――では、書いていて煮詰まることは特になく……。
いや、詰まってばっかりです。毎回詰まってます(苦笑)。プロットを用意していても、いざ書くとなったら大抵役に立たない(笑)。この段階ではまだ細かい部分まで考えられていないですし、書いていると登場人物の心情が伝わってきて「そんなことするわけがねぇじゃねえか」とプロットに反した展開になっていくわけです。だから毎回四苦八苦しますが、「書いているときに思った方が絶対的に正しい」と信じて書いています。
――詰まってしまった際には、どのように打破されているのでしょう。
これが本当にわからなくて。打開策がないから、色々なことを試すんです。「書けるところから書いてみよう」とか「とりあえず書いてみよう」だったり、どれが上手くいったのかは自分で分析できていない。でも、みんなそうなのかもしれませんね。物語が100個あったら100通りの悩み方があるでしょうし、何がハマったのかいまいちわからないものかもしれません。
2022.10.22(土)
文=SYO
撮影=石川啓次