この記事の連載

◆タニシ

「タニシがタニシを食べた」

 最後は僕の芸名にもなっている「タニシ」です。タニシを食べた経験はありますか。

 食べるどころか「実物を見たことがない」という人もおられるでしょう。この頃、タニシは数が減っているためなかなか市場に出回りません。でも、一昔前はよく食べられていたんです。煮つけにしたり、味噌汁の具にしたり、普通に家庭の食卓にのぼっていた。そもそもジャンボタニシは食用として輸入された生き物でした。

 そういえば、かの芸術家であり美食家であった北大路魯山人(きたおおじろさんじん)はタニシが大好物でした。「生煮えのタニシを好んで食べたため、肝吸虫に寄生され肝硬変になって亡くなった」という説もあるほどです。タニシが肝吸虫の宿主だったかどうかはわからず、真偽はさだかではありません。でも、命の危険と隣り合わせでも食べたいほど魅惑の味だったのでしょう。タニシは食通をもうならせる美味なのです。

 それほどの絶品なお味でありながら、この本の企画が立ち上がるまで、僕自身はタニシを食べた経験がなかった。そもそも「タニシ」という芸名は本名の高志(タカシ)を1文字ひねっただけでしてね。特にタニシに思い入れもなかったんです。

 でも、20年も芸名にしているのに一度も食べていないのもヘンだなと思い、タニシの産地(?)を調べてみた。すると逆に「タニシを食べてはいけない地域」が見つかったんです。それが秋田県湯沢町の一部エリア。この地の土澤山神社(土沢神社とも呼ばれる)には「タニシ観音」がまつられ、町民から崇拝されています。

 「タニシ観音」は伝説によれば、1588年(天正16)、最上氏の侵略により土澤山神社の社殿や鐘楼(しょうろう)が焼き尽くされたものの、不思議なことに観音像だけは数万とも知れぬタニシに守られて無傷だったのだそう。その後、村人はその観音像を「タニシ観音」と呼び、観音像を守ったタニシを大切にし、タニシを取ったり食べたりする行為を禁じるようになったと言われています。

 「タニシの料理や捕獲を禁じた」ということは、それ以前はタニシを食べる習慣があったという証しでもある。「もしや、秋田にタニシ料理のルーツがあるんじゃないか?」と踏んだ僕は秋田へ向かいました。秋田の各地へ「タニシを探す旅」に出たんです。一種の「自分探し」ですね(笑)。

 「タニシ観音」を参拝したのち、聞き込み調査をすると、やはり以前は家庭料理として食べていたらしいんです。しかし、区画整理により水路そのものが減り、現在はめったに手に入らない高級食材となっていました。タニシの味噌煮を提供している料亭も見つけたのですが、そこも「入荷次第」。必ず料理があるわけではないのだそうです。

 続いて、タニシについて調べるために秋田県立博物館を訪れました。学芸員さんが言うのには、秋田には「田螺息子(たにしむすこ)」という昔話があるのだそうです。

 おとぎ話なのでいろんなパターンがあるのですが、内容を要約すると、

「子どものない老夫婦が子宝を恵んでくださるよう村はずれの観音様に祈ると、老婆が身ごもった。しかし、生まれたのは人間ではなくタニシだった。それでも老夫婦は観音様からの授かりものとして大切に育てた。

 ある日、タニシは言葉で馬を操る才能があることが分かり、以後、馬の耳にいて荷運びを手伝うようになる。

 村の庄屋はタニシの能力を知り、三番目の娘をタニシに嫁がせる。娘はタニシとの結婚を嫌がることなく、夫のタニシに尽くした。

 村の夏祭りの日、夫婦で観音様へお参りに行った帰りに、タニシは烏に襲われる。その弾みで殻が割れ、中からイケメンが現れた。それから夫婦は末永く幸せに暮らしたという」

 美女と野獣の巻貝版と言うか。「人は外見で判断するな」という教訓なのか、「タニシを大切にしろ」という教えなのか。共感ポイントがよくわからないのですが、タニシが秋田で特別な存在であったことは間違いない。

 結局、一週間も滞在したのにタニシを食べられないまま秋田を離れました。そんなとき、「東京の高田馬場に“タニシ麺”を食べさせてくれる店がある」と知ったんです。実は現在、中国では“タニシ麺”が大ブームでね。2021年に遂に日本に上陸しました。

 タニシ麺はもともとインスタントの袋入りラーメンだったのですが、コロナ禍で外出できないなか、不思議なコクをたたえたタニシ麺が再評価され、ラーメン専門店でも供されるようになったんだそうです。

 ラー油が浮かぶ赤黒いスープに、米粉でできた麺。タニシでダシをとったスープは見た目ほど辛くなく、酸味があって飲みやすい。

 そして、いよいよ、待ち焦がれたタニシの肉との邂逅です。やっと出会えた。そのお味は……抽象的ですが、味や香りが「男性的」だと感じました。食感がコリコリくにゃくにゃしていて、男性の……まあ、察していただきたいのですが、「これが殻の向こう側にいたイケメンか」と、しみじみした気持ちになりましたね。

 タニシがタニシを食べるという「共喰い」体験、こうして無事に終わりました。

松原タニシ(まつばら・たにし)

1982年、兵庫県神戸市生まれ。他人が気づかない鋭い視点から編み出されるピン芸にて舞台・テレビで活動。さらには、”事故物件住みます芸人”として事故物件に滞在し、日常で発生する心霊現象を日々検証中。数々の不可思議な映像や体験談を持つ。レギュラー番組は『松原タニシの生きる』(ラジオ関西)、『松原タニシの恐味津々』(MBSラジオ)他。著書は『事故物件怪談 恐い間取り』『異界探訪記 恐い旅』(二見書房)他、漫画原作は『ボクんち事故物件』(宮本ぐみ作画/竹書房)などがある。
2023年8月16日(水)には「DAIHATSU 心斎橋角座」で怪談ライブ「怪談 恐いタニシ」を開催。
Twitter @tanishisuki

恐い食べ物

定価 1,650円(税込)
二見書房
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2023.08.08(火)
文=吉村智樹
写真=志水 隆