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“B”の灯台

 こうして日本の灯台は、その歴史を、外国に無理強いされたものとして歩みはじめた。

 建設費用は日本もちである。いきなり何基もつくれない。ましてや日本は南北に、ないし東西に長い島国で、さほど面積が大きくないわりに海岸線が複雑だから、必要となれば何百基つくっても足りはしない。

 自然、どこを優先するかが問題になる。日本の海は大づかみに見ると、太平洋、日本海、瀬戸内海、東シナ海(九州南西部)の四つにわかれるが、さっき述べた観音埼灯台、日本の灯台第一号は、このうち太平洋岸に置かれている。

 くわしく言うと三浦半島の東のはしっこ、太平洋から東京湾という袋小路への入口。まずは首都の門灯というところだが、この太平洋優先というのも結局は西洋人の都合なので、彼らはみなこの海域を経た上で、横浜とか、東京とか、用事の多い街へ着くのである。

 だから当然、これ以降も、灯台はつぎつぎと太平洋岸に建てられた。ざっと挙げてみると、

   城ヶ島灯台(明治三年、神奈川県)
B樫野埼灯台(明治三年、和歌山県)
B石廊埼灯台(明治四年、静岡県)
B犬吠埼灯台(明治七年、千葉県)
B御前埼灯台(明治七年、静岡県)

 Bのマークの有無については後述する。先に結論めいた言いかたをしてしまうと、私には、日本の灯台は総じて、

1 太平洋
2 東シナ海
3 瀬戸内海
4 日本海

 の順番で建てられたという印象がある。太平洋に次いで東シナ海の優先度が高いのは、これはたぶん、当時アジアで最大の租界(外国人居留地)があった上海を経由して来る船のためではなかったか。上海を経由して日本に来れば、東シナ海はまっすぐ太平洋に接続すること、あたかも陸上における山陽道と東海道のごとしというわけ。これは海上の一大幹線にほかならないのだった。

 ただしもちろん、このことは、第一期が終わったら第二期というふうに年表がきっかり区分されることを意味するのではない。

 実際の建設史はもっと渾沌としている。ここに挙げたのはあくまでも大きく見たときの順番だとご承知願いたいが、しかしながらそれにしても、第三期にあたる瀬戸内海に、明治五年(一八七二)というきわめて早い段階で建てられた灯台のあるのはおもしろく、私はかねて気になっていた。

2023.06.03(土)
文=門井慶喜
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2023年6月号