子供たちはすでにすうすうと寝息を立てている。

 しかし、山本もモジミも眠れないでいた。

 朝になったらまた、離れ離れになるのだ。

 そう思うと、さっさと寝てしまう気にはなれなかった。

 山本に赤紙が来たのは一九四四年七月八日のことだった。

 以来、夫婦が顔を合わせたのは数えるほどしかない。

 とぼけた口調で「今から地獄へ行ってくるよ」と言い残し、山本は新京の家を出て、入隊した。もともとひょろりとして、体力もない山本のことだ。初年兵としての過酷な日々を耐えられるのだろうかと、モジミは気をもんだが、面会で顔を合わせた山本は思ったよりも肌がつやつやとしていた。家にいた時よりも、心なしか顔の輪郭もふっくらとしていたかもしれない。

 元気そうな姿に、モジミは心底ほっとしつつも、少々複雑な気持ちにもなった。

 モジミは知らされずにいたが、軍に入った山本は、そのロシア語の能力を買われ、特務機関に配属されていた。そのため、体力的にはずいぶんと楽をすることができていたのだった。

 モジミは山本から軍で若い少尉の当番をしているとだけ聞いていた。家のことはモジミに任せきりで、一人ではお茶もいれられないような山本に少尉の身の回りの世話が務(つと)まるのかと思ったが、貴重なコーヒーをご馳走になったりと、よくしてもらっているのだと山本は嬉しそうに話した。家にいる時とまるで変らない、くつろいだ様子で、コーヒーを味わう姿が目に浮かぶようだった。一日だけとはいえ、休みをもらって、こうして家族で過ごすことができたのも、やはりその上官の計(はか)らいであるようだった。

「……明日、新京に戻ったら……」

 暗がりの中でも、お互いの姿はうすぼんやりと見える。山本の無理に押し出したような小さな声に、モジミはじっと耳を傾けた。

「すぐに荷物をまとめるんだ」

「え?」

「そしてそのまま日本に帰れ。勝手にはもう帰れないかもしれない。それでもとにかく港を目指せ。南へ急ぐんだ」

2022.12.19(月)
文=辺見 じゅん、林 民夫