日常とは案外脆(もろ)く、不確かなものだ。

 そのことを誰よりも知っていたはずなのになあと老人は目を細めて、新婦である孫娘の顔を見つめる。

 彼女に直接会うのは久しぶりのことだった。離れて暮らす彼女は、新型コロナを理由にもうしばらく帰省していない。頻繁(ひんぱん)に連絡は取っていたが、やはり会うのとは違う。

 自分は苦しかったのだなと、新婦の顔を見ながら老人は思う。

 会いたい人に、会えないのは、苦しい。

「これから、世の中はどうなっていくのかわからない。そんな不安な時代の中、お二人は、この日を迎えられました」

 スピーチの言葉に、新郎新婦はどちらともなく視線をあわせて微笑(ほほえ)んだ。柔らかな日の光が、新郎新婦を照らす。その光景に老人も思わず微笑んだ。

 そして、その光景は、七十七年前の記憶を鮮明に思い起こさせた。

 満州のハルビンで参列した結婚式。

 あの日も、会場にはやわらかな光が差し込んでいた。

 あの日のことは、鮮明に覚えていた。

 家族と共に過ごす日常が、いつまでも続くと無邪気に信じることができた、あの幸せな瞬間のことを。

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 一九四五年八月八日。

 満州ハルビンは気持ちのいいほどの晴天に恵まれていた。

 料理店の二階にある宴会場にも、暖かな日の光が差し込み、何もかもを明るく照らしている。まだ日は高い時間だ。しかし、宴会場にはすでに酔いのうかがえる男たちの大きな笑い声が、あちこちから上がっていた。

 主役である新郎は男たちからのお酌(しゃく)を、顔を真っ赤にしながら受け続け、新婦のたづ子はそれをハラハラしながら見守っている。

 新婦の兄である山本幡男(やまもとはたお)はその様子を丸眼鏡の奥の目を細めて、見つめていた。山本は今年三十六歳になる。この年でまさか一等兵として戦争に駆り出されるとは、家族も誰も予想だにしていなかった。短く刈り上げられたばかりの頭は、ひょろりとした山本の印象をより強めている。着ている軍服もまだ新しい。襟(えり)につけられた階級章は軍隊で訓練を終えたばかりの一等兵であることを表していた。

2022.12.19(月)
文=辺見 じゅん、林 民夫