この記事の連載

テレビでの自分とプライベートは全く違った

ケイ子 今までお話ししたのは生涯変わらない宿命についてでした。次にバイオリズムのお話をしますね。ryuchellさんは7歳運を持っていて、7歳、17歳、27歳、37歳……と年齢の1桁が7歳のときに人生のテーマが変わります。

 7歳からの10年間は、「孤独とクリエイティブ」の星が来ていました。かなりつらいことが多かったのではないでしょうか。みんなと一緒にいても寂しかったり、自分は一人きりだと感じたり。ただ、創作意欲みたいなものは常にあったと思います。

ryuchell たしかに、7歳から15、6歳まではとてもつらいことが多くて、傷つきながら生きていました。とくにいちばん苦しかったのが中学時代。それが、17歳から急に運気がよくなってきたんです。17歳といえば、東京に上京すると決めた年です。

ケイ子 17歳からの10年間は「自立と独立」がテーマです。独り立ちをするんですが、こだわりが強いから視野が狭くなっている部分もあります。しかもものすごいスピード感があって、3段飛ばしで階段を駆け上がっていくような、ジェットコースターに乗っているような、自分でもコントロールできない激しい10年間だったと思います。

ryuchell もう、めちゃくちゃわかります。今27歳ですけど、ここまでずっとジェットコースターみたいでした(笑)。

ケイ子 17歳でいろいろな人脈が回って、18歳で一度すべての音が止まって、リスタートの時が来ます。そして、2015年、20歳の時に、最大のジェットコースター状態がやってきました。3段飛ばしのさらに3段飛ばし、なので6段飛ばし(笑)。状況が目まぐるしく変わって全くコントロールできなかったと思います。

ryuchell そうでした。ちぇるちぇるランドの時代ですね。最初にさんまさんと共演したのが19歳で、そこからお仕事に火がついて。20歳は「世にも奇妙な物語」の主人公になった気分というか、まだそれほど下積みもないのに、椅子に座らされて急に後ろからバーンって押されたような感じでした。

ケイ子 20歳は、人生を6段飛ばしで駆け上がりました。でも、その翌年に反動がきて、ガクッと疲れます。

ryuchell いやほんと、2016年はやばかったです。

ケイ子 でも、テレビで見ている分にはわからなかったですね。

ryuchell そこはお仕事なので、なんとかしていました。でも現実は、点滴しながらやっていましたよ。「ちぇるちぇるビーム!」も出していましたね(笑)。

ケイ子 ryuchellさんの人生って、そんなふうにたまに3段飛ばしが来るんです。で、その次の年にガンと落ちて、また3段飛ばしがきてガンと落ちるんですが、たまにリセット期もある。これを10年周期でやるんです。

 その中で転換期は2018年。2018年の時には“責任を持つ、格が上がる”という星が来ています。

ryuchell それは息子が生まれた年ですね。

ケイ子 なるほど。多分お子様は、ラッキーパーソンになっています。

ryuchell  それはもう、めちゃくちゃそうです。

ケイ子 その翌年から戦いの神様が来て、自分の中で白黒はっきりさせないと気がすまない星が回ってきます。2019年、コロナ禍ですね。そして、20年、21年と天中殺に入ります。天中殺は、番狂わせなことが起きる2年間です。ここで、いろいろな大きな決断をされているのではないでしょうか。

ryuchell はい。2016年にガンと下がったって言いましたが、それとは比べ物にならないくらいしんどくなった時期です。でも、いろいろなことを自問自答して、整理して、初めてプライドも捨てて、ゼロから考えることができた。前向きな決断ができた年にはなったかなと思います。

ケイ子 天中殺の間は、自分のコントロールが難しくなります。そして、この2年間で判断したことは、もう一回リセットすることになるんですが、会社を立ち上げたのがこのタイミングですね。

ryuchell 独立を決めたのが2019年で、会社を立ち上げたのは2021年の10月です。

ケイ子 ハンドリングが難しい2年間に起業しているので、今後、どこかでもう一度帳尻合わせをすることになるでしょう。立ち上げ直すか、人員を変えるか、やり方を変えるか……。という見直しが、30歳くらいで来るのかなと思います。

2022.12.17(土)
文=嵯峨崎文香
写真=深野未季
イラスト=中村桃子