「カッコいいから理解したい」と思わせる巧さ

 映像演出においては挙げればきりがないのだが、一つ言えるのは「アングルと編集」だ。これは、『プロフェッショナル 仕事の流儀「庵野秀明スペシャル」』において、庵野自身も「アングルと編集が良ければ、 アニメーションは止めても(動きで見せなくても)大丈夫」という趣旨の発言をしており、『エヴァンゲリオン』の大きな特徴として、これらがあると考えられる。

 “新劇場版”に関してはギュンギュン動く演出も大量に盛り込まれているが、たとえば食事シーンにおいてもアングルは独特だし、TVアニメ版でも「止め画(静止画)」がかなり多い。

 いま観ても驚かされるのは、第22話のレイとアスカがエレベーターに乗るシーンで、静止画のまま、エレベーターの稼働音だけが響き、それ以外は約50秒もの間沈黙が続く。一瞬放送事故かと思ってしまうくらいに、じっくりと尺をとった演出だ。ちなみに、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』でも同じシーンが描かれるが、尺は大幅に短縮されている。

 実写を大胆に盛り込んだり、タイポグラフィで遊んだり、精神世界をとことん描き切ったりと、『エヴァンゲリオン』はデザイン性と実験性の宝庫。今回、『シン・エヴァ』を観賞するにあたりこれまでの映像作品を見返したが、2021年の感覚で観ても初期の『新世紀エヴァンゲリオン』は極めてアバンギャルドだ。当時、この作品に出会った多くの人々が感性を刺激されたのも、大いにうなずける。

 そして、物語の難解性。これも『プロフェッショナル 仕事の流儀「庵野秀明スペシャル」』の中で庵野が「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」という発言をしたことから考えると「わかりやすさを求める」時代に変移してきたことへの寂寥感が漂うのだが、『エヴァンゲリオン』シリーズはずっと、「懇切丁寧に説明しない」姿勢を貫いてきた。

 それはあたかも観客の読解力を試すかのごとく、「余白をどう考えるか」の作業を促してきたのだ。逆に言えば、考察や分析しがいのある作品であり、観客が能動的に作品に「乗り込む」ことによって、面白さが何倍にも膨れ上がっていく。旧約聖書や新約聖書、神話に伝承といった要素も多数盛り込まれており、裏の裏まで考えていくには相当な知識も必要となってくる。

 もちろんそれで脱落してしまう人もいるだろうが、先に挙げた映像的な面白さがセーフティーネット的な役割を果たしており、「カッコいいから理解したい」と観客に思わせる作品でもあるのが、『エヴァンゲリオン』の秀逸なところ。この作品の真髄をすべて把握したい、核心に近づきたい――。いわば、本作はある種の“憧れ”的な存在でもあるのだ。

 本音をすべてさらけ出す人物描写、スタイリッシュな映像表現、知的好奇心を絶え間なくくすぐる物語――。さらに付け加えるなら、25年経っても先鋭的であり続けるキャラクター&メカニックデザイン等々。ここに述べたのはあくまで『エヴァンゲリオン』の魅力の一部だが、本作はこの先も古びることはなく、多くの“後進”や“次世代”たちを魅了していくのだろう。

 そしていま、『エヴァンゲリオン』に多大な影響を受けた少年が成長し、作り上げた漫画が社会現象を巻き起こしている。それが、「週刊少年ジャンプ」で連載中の『呪術廻戦』だ。

2021.04.04(日)
文=SYO(協力:桜見諒一)