第8回(2009年)「このミステリーがすごい!」大賞に輝いた中山七里の小説を映画化した『さよならドビュッシー』で、ピアニストを目指すヒロインを支え、彼女の周囲で起きる謎めいた出来事に立ち向かう岬役を演じる清塚信也、30歳。「のだめカンタービレ」の吹き替え演奏で知られる人気ピアニストの彼に、ピアニストとしての苦悩から念願の俳優デビューまでを、たっぷり語ってもらった。
高校生で、初めてぶつかった壁
――5歳でピアノを始められたきっかけは、親御さんの影響ですか? それとも、ヴァイオリニストである2歳年上のお姉さんの影響ですか?
親は音楽をやっていた人ではないんですよ。ただ、母は姉を音楽家にするのが本命だったみたいで、僕は単に3歳ぐらいから姉のレッスンについて行っていただけなんですが、そのうちピアノを習い始めて……。そのときから、絶対音感はあったようなんですけど、姉に厳しさが向いていたぶん、弟としては伸び伸びやらせてもらっていたような気がします。
――とはいえ、小学校6年生で「プロのピアニストになるためには?」と考えられていたということは、その頃には、すでにプロ志向だったわけですよね?
プロになりたいと思っても、マニュアルはないので、日々練習ですよね、それで有名なコンクールでの優勝を目指す。同年代の子たちが遊んでいるのをうらやましく思いながらも、1日6時間程度の練習は当たり前でしたから、友達はできませんでしたね。目標がコンクールというのも問題で、それが幼くして人生の目標になってしまうんですよ。つまり、優勝できなかったら、ずっと劣等感を抱えますし、優勝したらしたで、達成感から燃え尽きてしまう。
――清塚さんも96年「第50回全日本学生音楽コンクール」の中学校の部で優勝されて以来、数々のコンクールで優勝されましたが、そのような状況に追い込まれてしまったのでしょうか?
中学生の頃はなかったんですが、高校生になったとき、「自分は何をやってるんだろう? そもそも、ピアノが好きなのか?」と、初めてアイデンティティについて考え始めたんです。そこからは結構、辛かったですね。その頃はすでにコンサートに出たり、仕事としてピアノを弾くようになっていて、中学以前とは違い、表現の自由がある環境になっていたんです。でも、自由を手に入れたはずなんですけど、コンクール優勝みたいな具体的な目標がないことで、ピアノを弾く意味が分からなくなってしまったんですよ。あと、矛盾しているんですが、コンクール自体にも価値を見出せなくなってしまった。完全にスランプになってしまって、18歳のとき、まるで逃げるように海外に行ったんです。
2013.01.18(金)
text:Hibiki Kurei
photographs:Asami Enomoto