早いもので、2025年も終わりである。今年最後の再ブームは、谷山浩子さんである。カーッ、50代半ばの中年がチョイスする表現ではないとわかってはいるが、あえて言う。私の神! 私のパワーフードは鶏のから揚げ。パワースポットは自分の部屋のすみっこ。パワーシンガーソングライターは谷山浩子さんなのだ。

 名前を知らない人も、彼女が手掛けた曲の多くを耳にしているはず。ジブリ映画『ゲド戦記』の挿入歌「テルーの唄」、映画『コクリコ坂から』の挿入歌「朝ごはんの歌」などの楽曲提供をした方である。40代以上の方なら、斉藤由貴さんの「MAY」「土曜日のタマネギ」の作詞をした方、と言えば「おおー!」となってくれるのではなかろうか。

 幻想とカオスとユーモアと言葉遊びが一つの翼になり、バッサーッと羽ばたくイメージの歌詞とメロディー。それが浩子さんの、星のきらめきが声になったような高音に乗り、一丸となって私の世界をスクラップアンドビルドしてくるのである。

 悩みだけでなく、悩んでいる自分の存在すらも、霧のように消えてなくなるような感覚が爽快。喪失感と爽快感って似ているかも。

 今年ラスト、皆さんと一緒に体感したい。ぜひ目をつぶって想像してほしい。不思議の国のアリスの如く、スルスルと想像の穴を浮遊しながら落ちていってみよう。ゆっくり地面に尻もちをついて、周りをきょろきょろ見回すと、黒に限りなく近い緑の森があり、真ん中にピアノが一つ。

 谷山浩子さんの歌が聞こえる――。


自意識過剰の過去と「まっくら森の歌」

 私が彼女の存在を知ったのは「みんなのうた」で歌われていた「まっくら森の歌」がきっかけである。勝手に小学校の頃と思い込んでいたが、一応調べてみると、この曲が『NHKみんなのうた』で初めて放送されたのは1985年8月。ウソやだバリバリ中学生! 記憶って本当に頼りにならない。

 でも、なるほどそうか。思春期ど真ん中の私は、大げさでなく、自分の力では到底たどり着けない、パラレルワールドへのチケットをもらった気がしたのだ。

「光の中でみえないものが やみの中にうかんでみえる」

 イントロのピアノと歌い出しの声と歌詞に、背骨がキューンとなった! 超ド級の感激のため、もはや胸でもお腹でも頭でもなく、背骨に走る稲妻。これだこれだ、これなんだよ!(泣) 欲しかった言葉が、欲しかった音で、欲しかった声に乗り、響いてきたあの感動と不思議な安堵感、今でも忘れない。

 当時の私は、自意識過剰が服を着て歩いている状態。私の行動や失敗をたくさんの人に見られ笑われていると思い込み、ビクビクしているような子であった。叶うならばタイムマシンに乗り、当時の自分の背後に降り立ち「アンタのこと気にするほど世間は暇じゃないぞアホがッ」と、後頭部をハリセンで叩きたいが、しょうがない。人の目がとにかく怖かったのだ。

 ということで、空想世界に閉じこもることになるのだが、一時期、それも、とてももろく不確かに思えた。自分の心が信用できない、己がサッパリわからない!

 こんな恐ろしく面倒な精神状態のとき出会えたのが「まっくら森の歌」だったのだ。励ますわけでもない。希望的な歌詞があるわけでもない。けれど、ただただ浸ることができた。

 この声の持ち主の曲を聴かねば。急いでCDショップで「谷山浩子谷山浩子谷山浩子」と念仏のように唱えながら探し、3rdアルバム「もうひとりのアリス」を購入し、これが全曲またもや心にカウンターパンチ状態で、その後アルバムを片っ端から購入。とはいえ、サブスクなんて便利なものがない時代、CD1枚3000円(泣)。ちくちくちくちく集め、大切に、大切に聴いた。

 ちなみに、「まっくら森の歌」が収録された14thアルバム「しっぽのきもち」をダビングしたカセットテープが残っているのだが、見よ、我ながらかわいいじゃないか、「しっぽのきもち」の書き方。カラーペンで浮かれまくっている!

次のページ 令和は「鏡よ鏡」の時代?