2025年に中国からジャイアントパンダを貸与されたのは2カ国。4月にオーストリア、11月にマレーシアへ、それぞれ2頭が中国ジャイアントパンダ保護研究センター(以下、パンダセンター)から送られた。オーストリアは2024年9月から、マレーシアは2025年5月からパンダがいなくなっていた。
パンダが中国へ渡って再び来るまでの期間はさまざま。例えばスペインとオーストラリアの場合、2024年に全頭のパンダを中国(スペインは成都ジャイアントパンダ繁育研究基地:以下、成都パンダ基地、オーストラリアはパンダセンター)へ送り出してから、わずか約1カ月後に他のパンダが中国から来た。
フランスの場合は、ボーバル動物園にいた2頭が2025年11月26日(水)に中国へ帰国。その約1週間後の12月4日(木)にマクロン大統領が中国の習近平国家主席と会談し、新たなパンダの保護協力で合意した。中国野生動物保護協会(CWCA)は同日、パンダが2027年にボーバル動物園へ行く予定だと発表。成都パンダ基地は、ボーバル動物園で生まれた双子が2027年1月まで同園に滞在すると発表している。
日本では、東京・上野動物園で生まれた双子パンダのシャオシャオ(暁暁)とレイレイ(蕾蕾)が中国へ行くまでに他のパンダが日本に来なければ、パンダ初来日からの53年超で、初のパンダ不在となり、飼育の歴史が途切れる。約53年前は、日中国交正常化を記念して1972年10月28日にランラン(蘭蘭)とカンカン(康康)が上野動物園に来た。
最後のパンダ来日は2011年
この約53年間で、最後のパンダ来日は2011年2月21日。上野動物園では2008年4月30日にリンリン(陵陵)が死んでパンダがいなくなっていた。だが同年5月6日、中国の胡錦涛国家主席(当時)が新たなパンダ貸与を表明した。
2010年7月26日、東京都とCWCAは、繁殖研究の協力協定書に調印し、都は2頭のパンダを2011年の早い時期に受け入れると決まった。この2頭に選ばれたのがリーリー(力力)とシンシン(真真)だ。しかし同年9月、沖縄県の尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突し、日中関係は急速に悪化。同年10月に四川省の成都で大規模な反日デモが起き、成都中心部の成都イトーヨーカ堂春熙店(現在は閉店)のガラスが割られるなどした。
リーリーとシンシンの来日時は、日中関係が悪かったうえ、上野動物園の歴代パンダで初めて中国側への費用の支払いが発生するとあって、2頭の来日に抗議する声が上がった。ただ、3月11日の東日本大震災を経て、2頭の一般公開が4月1日に始まると、多くの人が観覧に訪れた。
上野動物園の入園者数(1万人未満は切り捨て、以下同)は、2007年度の349万人から2008年度(5月1日以降パンダ不在)に289万人へ減り、60年ぶりに300万人を割った。2009年度は302万人、2010年度は267万人まで落ち込んだが、パンダがいた2011年度は470万人に回復した。
都は上野動物園へのパンダ貸与を希望し、CWCAと交渉している。CWCAは野生動物の保護などを担う非営利団体とされ、国家間とは別のルートになる。筆者が11月に都の担当者に状況を尋ねたところ、「CWCAとは長年にわたり信頼関係を構築してきたので、(今回の日中関係の悪化で)こじれるといったことはありません」とのことだった。
その後の11月21日(金)、小池百合子都知事は定例記者会見で、パンダの受け入れについての見解、および高市早苗首相との面会でパンダに関し何か要望したかを問われ、「先日の高市総理との話の中で個別の話は出しておりません」「野生動物の保全への取り組みが重要だと考えていますので、上野動物園における繁殖研究プロジェクトを継続していきたいと考えております」と回答した。










