関門海峡を歩いて渡る
陽光溢れる部埼灯台を離れ、関門海峡へと下ってきた。
松本清張の『時間の習俗』の舞台となった、和布刈(めかり)神社を目指す。
実は、私は子供の頃から本格ミステリや探偵小説と呼ばれるものを愛好していたので、長いこと松本清張のいい読者ではなかった。
いっときしつこく言われていた、「探偵小説は人間を描けていない」論の先駆者、というイメージが強かったためだ(むしろ、『日本の黒い霧』とかノンフィクションのほうを愛読していた)。今回、せっかく舞台に行くんだから、と『時間の習俗』を読んでみたら、まっとうなアリバイ崩しと謎解きのミステリだったのでびっくりした。
小説の中に、この和布刈神社で行われる有名な旧暦の新年の神事が出てくる。最も潮の引く時間を選んで、海に入って海藻を刈り取ってくる、という神事を撮った写真がアリバイになるのだが、これが、かなりテクニカルかつ複雑なトリックなのだ。ちゃんとミステリしてるじゃないですか、松本清張。
和布刈神社は、海辺のこぢんまりした神社で、頭上には関門橋。向かいの崖には、部埼灯台でも見た、巨大な潮流信号所が聳えていて、刻一刻と数字や矢印が変わってゆく。
関門橋の下あたりはいちばん海峡の狭いところで、タクシーの運転手さんらは、子供の頃は泳いで渡っていたとか。そういう、その地元では当然だった通過儀礼的なものも、このご時世では難しくなっているのだろう。今は行き交う船舶の量も格段に多いため、危険なので遊泳禁止とのこと。
関門海峡の、歩行者や自転車・バイク(押して歩く場合のみ)専用のトンネルをくぐる。
このトンネルもずいぶん前に通ったことがある。佐々部清監督の『チルソクの夏』という、地味ながらいい映画のロケ地に使われていて、それで知ったのだ。
途中で県境の線が引いてあり、そこを跨いで写真を撮るのがお約束である。
歩くのが速い我々は、あっというまに山口側に着いてしまい、待ち合わせをしていたタクシーの運転手さんが「お客さんに先に着かれたのは初めてです」と驚いていた。
