「主人が抱きしめてくれていたんだと思います」(増田)

近田 2024年の8月、僕もケイちゃんのライブをビルボードライブ横浜で拝見しましたが、あの日は、ご主人ががんで亡くなられた3日後だったんですね……。

増田 ええ。事務所の社長にもマネージャーにも、誰にもその事実を知らせずステージに立ったんです。教えたら止められるし、それ以前に、そのことを口に出したら、自分が壊れちゃうと思って。主人は生前、あのライブを心から楽しみにしてくれていたから、間に合わなかった彼に向けて「頑張ってるよ」っていう気持ちでした。

近田 そんな暗さは微塵も感じさせない、圧巻のステージでしたよ。ご主人を失ったことを後から知って、ケイちゃん、本当にカッコいいなと思った。

増田 ツカツカツカと会場に入ったら、その瞬間、急に体がふわっと軽くなり、繭に包まれているような感覚を覚えたんです。そして、舞台に立ってゴールドの照明を浴びたら、温かい気持ちになって笑顔で歌えるようになった。主人が抱きしめてくれていたんだと思います。

近田 あのコンサートに立ち会えたことは、僕にとっても特別な経験になりました。

増田 主人はいつも、「歌っている時のケイが一番好き。ケイは、歌がなかったらケイじゃないから」と言っていました。私は、歌っている時だけは、どんな悲しみも忘れられる。これからも、歌える限りは歌い続けようと心に決めています。

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増田惠子(ますだ・けいこ)

1957年静岡市生まれ。中学校の同級生であったミー(根本美鶴代)とクッキーという名のデュオを結成し、「スター誕生!」に出場、決戦大会で合格を果たす。1976年、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。「S・O・S」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」など大ヒットを連発し、「UFO」では1978年の日本レコード大賞を受賞する。解散後の1981年、中島みゆき作詞・作曲の「すずめ」でソロデビュー。40万枚のヒットを果たす。再始動したピンク・レディーとしても、活動を続けている。2月6日(金)には、有楽町マリオン別館7F「I’M A SHOW」にて「増田惠子・ソロデビュー45th anniversary concert I Love Singing スペシャル! ~ソロシングル、カバー、そしてピンク・レディー」を開催予定。

近田春夫(ちかだ・はるお)

1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。

Column

近田春夫の「おんな友達との会話」

ミュージシャンのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて交遊を繰り広げてきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズがスタート。なお、この連載は、白洲正子が気心を通じる男性たちと丁々発止の対談を繰り広げた名著『おとこ友達との会話』(新潮文庫)にオマージュを捧げ、そのタイトルを借りている。