ミュージシャンとしてのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて親交を重ね、交遊してきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズ、「おんな友達との会話」。
2人目のゲストは、ピンク・レディーのケイとして、70年代後半に「UFO」「サウスポー」などのメガヒットを連発し、戦後芸能史に一時代を画した増田惠子さん。2026年は、ピンク・レディーのデビューから50周年、ソロデビューから45周年というダブルアニバーサリーの年に当たるんだとか。実は、近田さんとは、意外な深い縁があったようで……。
ソロデビュー曲は中島みゆき作の「すずめ」
近田 1981年3月末、後楽園球場でのコンサートをもってピンク・レディーは解散。ケイちゃんは、同年11月にソロシンガーとして再出発します。
増田 当時、所属事務所の社長から「ソロデビュー曲は誰に書いてもらいたい?」と聞かれて、びっくりしたんですよ。そんな意見、私が主張してもいいんだと思って。
近田 昔のアイドルって、みんな、そういう感覚を持ってたんだよね。
増田 楽曲というのは、あくまでも受動的に与えられるものでしたからね。
近田 僕さ、90年代後半に、「TK MUSIC CLAMP」っていうフジテレビの深夜の音楽番組に出演してたのよ。ミュージシャンがトークを繰り広げるって内容で、僕はサブコーナーのMCだったんだけど、メインのMCを務めたのがSMAPの中居(正広)君だったから、結構、収録現場で彼と話す機会があったんだ。
増田 SMAPの人気が絶頂を迎えた頃ですよね。
近田 僕が「今度のレコーディングで、どういう曲作ろうか迷ってるんだよね」みたいな話をしたら、中居君は真顔でこう尋ねるわけ。「えっ、どんな曲やるか、自分たちで決められるんですか」って。あのびっくりした表情、未だに忘れられないよ。
増田 かつての私と同じ驚きを感じたんですね。
近田 あの頃のSMAPのメンバーなら、てっきり作品に対する発言権ぐらい持ってるのかと思いきや、そうじゃないっていうのが意外だった。
増田 私、誰にオファーするか自分で決められるんだと驚いちゃって、ダメ元でもいいからってことで、「中島みゆきさんにお願いしたいです」と言ったんです。解散する前にTBSの「ザ・ベストテン」で桜田淳子ちゃんが歌っていた「しあわせ芝居」を聴いて、「なんていい曲なんだろう」ってうらやましかったんですよね。
近田 当時、彼女はいろんなシンガーに楽曲を提供してたもんね。
増田 社長曰く、「もしも、みゆきさんに書いてもらったら、たとえ、その曲が気に入らなかったとしても、返せないよ。しかも、最初から一曲しか来ないよ」。
近田 そうそう。あの頃、売れてる作家に指名で頼む時は、必ずそのことを念押しされたんだよ。楽曲をもらい受けたら、もうありがたくいただくしかないって。
増田 もちろん、「それでも構いません」って答えましたよ。しばらくして、みゆきさんがアコギで弾き語りするデモテープが届きました。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword









